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好日大会
投稿日 : 2015/06/19(Fri) 07:22
投稿者 西村
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新國さん
好日大会、きのう無事おわりました。
只見へ行った岡田さん、花田さん、神山さんたち東京の人たちとも
出会えました。花田さんとは分科会でもいっしょでした。

母上洋子様の色紙や短冊(すごい達筆!!)ポストカードなどを
神山さんに見せていただきました。ありがとうございます。

大会の様子は私が撮ったのではないですが写真データをもらったのを
何枚かアップします。すこしピンボケなのもありますが・・
遠くより近くより大津での大会に出席されたみなさまに
担当支社として御礼もうしあげます。

F5!!
投稿日 : 2015/06/20(Sat) 17:36
投稿者 新國 由紀子
参照先

見られました!

さっそくプリントアウトしたので、母に見せます!

ありがとうございましたm(__)m


Re: 好日大会
投稿日 : 2015/06/20(Sat) 12:26
投稿者 西村
参照先
新國さん、カヒのページは、「好日」HPの表紙から入ってゆくのですが、
PCで閲覧されているならば(画面の大きさにもよりますが)
縦3列、横4列の窓があるかと思います。

その一番下の真ん中にピラミッドの前の探検家とラクダが立つ画像
これをクリックしますと、「好日先進の歌碑」というページが開きます。

その上から3番目に(下方へスクロールして)矢嶋先生の歌碑があると思います。
これで出ない場合は、F5キーを押すか「最新の情報に更新」マークをクリックです。
カヒ
投稿日 : 2015/06/20(Sat) 11:51
投稿者 新國 由紀子
参照先
西村様

いろいろ教えていただき有難うございました。
縄文人と弥生人!
なるほど…

いつも短歌に関係のないことでメールしてしまい、ご迷惑をおかけします。

ところで、『カヒ』のHPを覗いたのですが、PCの使い方がわからず、矢嶋先生の所にたどり着けません。
使い方教えて下さいませm(__)m

Re: 好日大会
投稿日 : 2015/06/19(Fri) 23:29
投稿者 西村
参照先
矢嶋先生の歌碑、カヒのページに掲載しました。

追伸、アイヌの人と沖縄の人が毛深くて顔の堀が深く、
中間のわれわれはのっぺり・・・・・・

このこと、よく知りませんが、縄文人(系)と弥生人(系)が、日本には居る、
と私は考えています。

私の友人のOは胸毛が生えていて、手足も毛深く、毛深いだけではなくて
腕や、脚がのびやかに長く、顔は縦に長く、目の上の眉のところが
ぐっと出ていて、鼻は高く、つまり彫が深い。彼は縄文系だと私は
思っています。
この縄文系の例を有名人で言えば、長嶋茂雄、三船敏郎、そして
あの若大将の若いころを思ってください。そう加山雄三です。

弥生人の例というと、それ以外の日本人を思えばよく、
という風に私は思っています。ちょっと見当はずれでしょうか?
何か難しい問題に直面したような…
投稿日 : 2015/06/19(Fri) 21:54
投稿者 新國 由紀子
参照先


ここんとこ40年以上も抱えてきた問題が、こんなにすんなり解けてしまうとは…(^_^;)
もっと早く蝉マル様と出会っていれば、この年まで悩んでいることもなく、もう少し朗らかに生きられていたのかなぁ、と思いました。
この問題は、母に聞いても誰に聞いても返事がなく、一人悶々と青春を無駄にしてしまったような気がします。
蝉マル様のお陰で、明日からは、ちゃんと青春出来そうな気がしてきました。
有難うございました!
お邪魔いたしました!

蝉マル様ありがとうございます(^^ゞ
投稿日 : 2015/06/19(Fri) 21:44
投稿者 新國 由紀子
参照先
宮城、福島まで蝦夷の領域だったとは知りませんでした^_^;
そこで思い出したのが、アイヌと沖縄の人が似ていると言うことです。
彫りが深く髭が濃く、ガッシリ型の男性ですよね?
その中間の我々は、なぜノッペリしているんでしょうか?
歴史はすこぶる苦手でしたが、こういうことになると、何故か燃え上がる私でしたぁ〜(^O^)

Re: 好日大会
投稿日 : 2015/06/19(Fri) 21:38
投稿者 西村
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それで、大和政権は、そのライン上に、三つの関所をつくったようです。
白川の関、念種の関、そして勿来の関です。
白川の関や念種の関は、大和政権側が軍事的に設けた関所であったようで、
勿来の関は、そうではなかった。だから、来るな、つまりこの来るな
は、蝦夷来るなの意味であったと。

そして、また百人一首の藤原公任の歌
「滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ」
がありますが、この「名こそ」は「勿来」に掛けられた言葉だと
言われている。

つまり、勿来のように、地の果てまでもその名(滝の名)は聞こえているのだと。
勿来は、恐ろしい異人種が住む国との境界の、地の果ての地域であった。
ということのようです。
Re: 好日大会
投稿日 : 2015/06/19(Fri) 21:29
投稿者 西村
参照先
新國さん、クイズのような「なこそ」の問題、

わたしクイズとか、意味がなかなか分からなくて考えさせる短歌が
好きです。

と言っても、これから書こうとしていることは、ネットで知ったことで
前から自分の知識として知っていたことではありません。
何故「来るな」というような名前が付いたのかということですが、

大昔、ここ日本(その頃は大和か)は、蝦夷(アイヌ)が支配していた
国で・・
つまり、アメリカがその昔は(アメリカンインディアン)の国で、
ヨーロッパから今の米国人となる人種が入ってきて、インディアンを
追い出してしまったように、大和の国では、蝦夷が原住民で、今の
日本人は外来種であったということです。

で、まだその頃(奈良時代)は、現在の福島県、宮城県、山形県、
岩手県、秋田県、あたりから北が蝦夷の勢力、それより南が侵略して
きた大和の勢力との境であったらしいです。

どうも600字制限というのがやっかいですな
続きは返信の方で書きます。
ド素人です(-_-;)
投稿日 : 2015/06/19(Fri) 21:23
投稿者 新國 由紀子
参照先


花田さんのブログで、只見駅の近くにいた人の写真がアップされてましたが、多分知り合いです。
明日確認取りますけど、間違いないと思います。
ブログに対してのコメントって出来る筈だとは思うのですが、
初心者ゆえのご無礼お許し下されませm(__)m

蝉マル様
投稿日 : 2015/06/19(Fri) 13:46
投稿者 新國 由紀子
参照先
HPにコメントをしてみたのですが、上手く届きません。
昔から疑問に思っていた言葉があります。
地名なのですが、福島県に勿来という所があります。
古文では『な……そ』は禁止の意味を表すと習いました。
命令形の『来い』は『こ』となり、『なこそ』は文字の通り
来るなかれを表している事になります。
『草津良いとこ一度はおいで』
と歌われているように、自分の故郷は誰かに見て欲しいと思うのが人情です。
なぜこのような地名が付いたのか、是非蝉マル様に解明して頂きたいと思いました。
高校時代から(もう40年以上も)悩み続けて来た地名です。
蝉マル様、どうか宜しくお願い致しますm(__)m

Re: 好日大会
投稿日 : 2015/06/19(Fri) 08:03
投稿者 新國 由紀子
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おはようございます。
大会の写真、プリントアウトしました。
二階の母のところへ持っていきます。
毎日大工さんが来てるので、なかなか忙しい毎日です。
西村さん、有難うございました。
またお邪魔します。

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