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3/26 題詠「コロナ」・鑑賞&批評「二十歳」
投稿日 : 2020/03/20(Fri) 09:09
投稿者 フミコ
参照先
♪ 次回・「たどたど」スケジュール ♪ 

R・02.03.26  (木)

題詠    「コロナ」
鑑賞&批評 「二十歳」
出題当番   ひらら さん


鑑賞詠草 「二十歳」

1. 二十歳(はたち)には安保反対沸き上がる授業放棄しデモ行進せり  ひさお

2. 肩揚げをおろしてたたむ子の晴着七年のちの二十歳を描く  ひらら

3. 若年の人口減りて二十歳まで待てずに与えた選挙権とは  ひろゆき

4. わが二十歳(はたち)の式典に出し晴れ着なり着慣れた白衣に糊を利かせて  フミコ

5. 二十歳の死を刻まれしより吾が生は始まりにけり吾は墓標だ  ゆき

6. 野毛山の猿よ二十歳のすかんぴんの彼とわたしを覚えてゐるか  ウプラ

7. 二十歳の祝いの装い姉の手作り紺のスーツに戦後手繰り寄す  さらら

8. 二十歳にもならない君は二十五歳(にじゅうご)のわれより大人で遠くを見ていた  たかし 
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Re: 3/26 題詠「コロナ」・鑑賞&批評「二十歳」
投稿日 : 2020/03/26(Thu) 18:46
投稿者 ひらら
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詠草

 コロナの絵元気色なる目に見えぬものに怯ゆ日桜(はな)のたより来  ひらら
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Re: 3/26 題詠「コロナ」・鑑賞&批評「二十歳」
投稿日 : 2020/03/26(Thu) 15:15
投稿者 ひらら
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来週詠草 題

 ガラス
 
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Re: 3/26 題詠「コロナ」・鑑賞&批評「二十歳」
投稿日 : 2020/03/26(Thu) 14:24
投稿者 フミコ
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1. 二十歳(はたち)には安保反対沸き上がる授業放棄しデモ行進せり  ひさお
安保闘争のニュースでラジオは連日賑わっていた頃、まだ新米ナースの私は大学生も大変だなぁと呑気なことを考えていました。
時世の目まぐるしさに自分を重ねることなど思いもよらなかった私の20歳代が甦りました。
授業も受けない、受けていられない状況を乗り越えた学生達の特別の絆のようなものをよく耳にしました。忘れられない一頁、一時代だったのだと思います。

2. 肩揚げをおろしてたたむ子の晴着七年のちの二十歳を描く  ひらら
子の成長は早い。
着物の裄を調節するための肩揚はほぼ毎年直さなければならない。
今年の肩揚を外して跡がつかないように大切に仕舞う。
あと七年でハタチということは十三詣りの晴着ですね。
成長した娘さんの姿を想像しながら、京都では特に大切にされている習慣ですね。

3. 若年の人口減りて二十歳まで待てずに与えた選挙権とは  ひろゆき
若年に期待されていることの多くを満たすためには人口が足りない。
それも大きな要因だと思いますが、私は犯罪と課せられる責任とか刑の面からの改憲かと思っていました。
この歌からは選挙権を行使する質実よりも数だけが重要視された印象を受けました。疑問符を投げかけられた歌だとは分かりますが。

4. わが二十歳(はたち)の式典に出し晴れ着なり着慣れた白衣に糊を利かせて  フミコ

5. 二十歳の死を刻まれしより吾が生は始まりにけり吾は墓標だ  ゆき
…死を刻まれし…自分の意思ではなく何らかの運命的なものが働いて、一旦、死んだ筈のところから、今生きている自分は実存のない、単なる墓標にすぎない。
実存感のない吾の肉体を持て余している、魂の浮遊感か?

6. 野毛山の猿よ二十歳のすかんぴんの彼とわたしを覚えてゐるか  ウプラ
20歳のすかんぴんの彼…先行きの運命予測には遠いが見過ごせない何かが強く働いている雰囲気のある歌だと思いました。
野毛山の猿に「覚えているか」と問いかけているところ。
成就したのかしなかったのか。
読む者に謎ではあるが作者の脳裡にいまもとどまっている情景。

7. 二十歳の祝いの装い姉の手作り紺のスーツに戦後手繰り寄す  さらら
作者の成人式も含めたお祝いの装いとしてお姉さんが紺のスーツを縫ってくれた。
それは今も大切に残されていて、何かの度に取り出してみる。
それは作者の戦後を思い出させて余りある貴重なメモリアルなのだ。

8. 二十歳にもならない君は二十五歳(にじゅうご)のわれより大人で遠くを見ていた  たかし
作者25歳の大切な思い出なのでしょう。
20歳にもならない君の瞳は深く遠く大人びて見えた。
この時、作者には謎めいて見える君にどう接していいのか、言葉にならない距離のようなものを感じていたのではないでしょうか。
お付き合いが始まっていたのか何回目かのデイトか、あるいはこれからどう発展するのか、ふと立ち止まった時のような場面を想像しました。 
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Re: 3/26 題詠「コロナ」・鑑賞&批評「二十歳」
投稿日 : 2020/03/26(Thu) 10:44
投稿者 ひさお
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免許取得し中古のコロナ買ひし頃週末ごとにせつせと洗車を ひさお
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Re: 3/26 題詠「コロナ」・鑑賞&批評「二十歳」
投稿日 : 2020/03/26(Thu) 10:41
投稿者 ひさお
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1. 二十歳(はたち)には安保反対沸き上がる授業放棄しデモ行進せり  ひさお

2. 肩揚げをおろしてたたむ子の晴着七年のちの二十歳を描く  ひらら
 十三参りをした孫か娘。衣装は成人してからも着られるように大人用である。
だから必ず肩揚げをした。その後二十歳まで着ることはないので、片づける
とき、肩揚げをおろしてたたんだ。この子が二十歳になったらまた着てくれること
を思い描きながら。

3. 若年の人口減りて二十歳まで待てずに与えた選挙権とは  ひろゆき
わが国では2016年6月から、選挙権を与える年齢が18歳に引き下げ
られた。この時点で162か国が18歳で選挙権を与えているということであった。
18歳だと大学入学などで住所が変わる人が多く、選挙権行使にやや困難をともなう
こともあるようだ。
さて、この作品で作者は何を言わんとしているのか。時代の趨勢として賛同して
いるのではなく、、投票率の低さなどで批判的なのであろうと読める。

4. わが二十歳(はたち)の式典に出し晴れ着なり着慣れた白衣に糊を利かせて  フミコ
 作者は二十歳の式典に白衣を着て出席。日頃着慣れた白衣に糊を利かせて
 きれいな状態にして。看護師としての誇りを感じていたのであろう。
「・・・・晴れ着なり」とあるので、当時の晴れ着を前にして感慨にふけっているのだ。

5. 二十歳の死を刻まれしより吾が生は始まりにけり吾は墓標だ  ゆき
友人か尊敬する先輩が二十歳で亡くなった。その死を契機に作者は人生に厳しく
向き合わねばならないと生まれ変わった。だから作者は自分のことをその人の墓標
であると思っている。
4句止めが効いている。

6. 野毛山の猿よ二十歳のすかんぴんの彼とわたしを覚えてゐるか  ウプラ
すかんぴん(素寒貧)とはきわめて貧乏なこと。
野毛山は横浜の野毛山公園の中にある動物園。彼が二十歳で作者も同い年
かもしれないが、そのころ二人とも貧乏であった。動物園の猿を二人で
眺めていた。楽しい食事もできないほどお金に窮していた苦い経験。
今でもそこへ行くと昔のことが鮮明に思い出される。

7. 二十歳の祝いの装い姉の手作り紺のスーツに戦後手繰り寄す  さらら
二十歳のお祝いの晴れ着。これは姉のものなのか、妹の作者のものなのか。
なんとなく作者のために姉が仕立ててくれたものらしい。紺色の上着とスカート。
それを今でも大切に持っている。そしてときどき洋服タンスから出して、戦後の
苦しかった生活を偲んでみる。「戦後手繰り寄す」は、戦後の苦しかった生活を
思い出して、決してそのことを忘れてはいけないという自戒の気持ちを込めている
のであろう。「戦後を手繰り寄す」と「を」をいれたい。


8. 二十歳にもならない君は二十五歳(にじゅうご)のわれより大人で遠くを見ていた  たかし
 作者二十五歳の時の知人は二十歳になるかならない若さであった。 その人は
作者より大人びていて、ずっと将来のことを見通していた。よくできた知人を褒めたたえて
いる。
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Re: 3/26 題詠「コロナ」・鑑賞&批評「二十歳」
投稿日 : 2020/03/26(Thu) 09:44
投稿者 フミコ
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初めての洋画鑑賞中3のころな(コロナ)り講堂に全員正座
 (昭和29年頃) (題詠として違反かも?)
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Re: 3/26 題詠「コロナ」・鑑賞&批評「二十歳」
投稿日 : 2020/03/26(Thu) 08:06
投稿者 たかし
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収束と終息のちがいを辞書にみる新型コロナの終息は遠し  たかし
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題詠「コロナ」
投稿日 : 2020/03/25(Wed) 19:27
投稿者 ひろゆき
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太陽の周りを包むコロナ群ウイルス連れて世界を覆う
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Re: 3/26 題詠「コロナ」・鑑賞&批評「二十歳」
投稿日 : 2020/03/25(Wed) 19:14
投稿者 ひろゆき
参照先
1. 二十歳(はたち)には安保反対沸き上がる授業放棄しデモ行進せり  ひさお
学生運動の華やかなりしころ?と言いうるか。どこを行進されたのか懐かしみを生むのでしょうね。私は四条河原町から祇園円山音楽堂まで。普段絶対歩くことのできない通りの中央を。
2. 肩揚げをおろしてたたむ子の晴着七年のちの二十歳を描く  ひらら
十三参りの時の晴れ着を、たたむときに肩上げをおろし成人式に着られるようにとの母心。手製かオーダーか成人した子の夢を追って。
3. 若年の人口減りて二十歳まで待てずに与えた選挙権とは  ひろゆき

4. わが二十歳(はたち)の式典に出し晴れ着なり着慣れた白衣に糊を利かせて  フミコ
医療関係にお勤めになっていたのだろうか。二十歳の時にはその白衣に糊を聞かせピンシャンとして成人式に臨まれた姿が浮かぶ。
5. 二十歳の死を刻まれしより吾が生は始まりにけり吾は墓標だ  ゆき
重病に臥し、死をも懸念されたことを思うとそれからが生の始まりだと。作者はそのため墓標だと詠う。私も戦後医師から〇か×かの二つを言われた。その後、大病から縁もなくなった。
6. 野毛山の猿よ二十歳のすかんぴんの彼とわたしを覚えてゐるか  ウプラ
二十歳のころの回想。アルバイトもならず、すかんぴんでいた彼との二人を、周辺の仲間は覚えているだろうか。周囲にいた仲間たちはと問う。初句“野毛山の猿よ&#8222;は?
7. 二十歳の祝いの装い姉の手作り紺のスーツに戦後手繰り寄す  さらら
姉が作られた紺のスーツに身を、目をとおすとき戦後の物品のない時の思いが自然に手繰り寄せられる、印象と残像が今も浮かぶという。
8. 二十歳にもならない君は二十五歳(にじゅうご)のわれより大人で遠くを見ていた  たかし 
 どこか大人びた君、体躯も含めてその言動に将来を見、にじませていたのであろう。どのような交友関係にあったのか。その時現在の友の楽しみは何だったのか。
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