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2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
投稿日 | : 2021/07/02(Fri) 10:29 |
投稿者 | : ウプラ |
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2021.07.08(木)
題詠 「むっ(または)ムッ」
鑑賞&批評 「船(または)舟」
出題当番 ウプラさん
鑑賞&批評 「船(または)舟」
1、笹舟を折って流して宵を待つほうほうほうたる栗の花匂う ひらら
2、客船の着く港なき新島に母の里訪う洋上乗換
(大戦末期、最後のお別れかもと東京湾より新島へ行く) フミコ
3、門先に膳所城北の総門跡の碑の建つ船町くねくね曲がる さらら
4、連絡船航路さかんな時代なり善通寺から釧路への転属 たかし
(宇高連絡船・青函連絡船・・乗り継いで)
5、幼きに親から聞きたる記憶あり瀬田から膳所まで汽船で八銭 ひさお
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
投稿日 | : 2021/07/09(Fri) 20:39 |
投稿者 | : ひさお |
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5、幼きに親から聞きたる記憶あり瀬田から膳所まで汽船で八銭
ご批評ありがとうございます。
高島でも同じようなことが言われていたとは驚きです。
私は瀬田から膳所までの汽船に乗った記憶はありません。どうやら
3歳くらいまでに水疱瘡にかかり、膳所の病院に通院するとき、汽船に乗ったらしいのです。
この汽船がいつまで航行していたのかは、歴史の書物を調べないと分かりません。瀬田川に木製の船着き場があったような、微かな記憶はあるのですが、それは老朽化し使用できない状態であったように思います。
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
投稿日 | : 2021/07/09(Fri) 08:20 |
投稿者 | : たかし |
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4、連絡船航路さかんな時代なり善通寺から釧路への転属 たかし
(宇高連絡船・青函連絡船・・乗り継いで)
みなさん批評ありがとうございました。
18歳で自衛隊に入隊し、香川県の善通寺にある教育隊にまず入りました。
そこで三ヶ月の初期教育期間が過ぎたあと、各人の希望配属先(ある程度叶えられた)へ転属された。
私は札幌を希望したが、その年は札幌が配置がなく、北海道なら釧路がある、ということで釧路へ行くことになりました。
釧路を希望したのは同期で3人、それを連れていく海千山千の軍曹(二等陸曹)1人と、合わせて4人で朝10時頃、善通寺を出発。先ず高松へ汽車で出て、宇高連絡船(瀬戸内海の眺めが最高でした)宇野からまた汽車に乗って、北上。
途中大阪を通過する頃に夜になった。
その頃は移動中でも隊員の食事は、その近くの駐屯地から支給されることになっていて、
私たち4人は、一般の人が乗っている客車(急行)の中で、
隊からの飯ごう飯を食べた。これが恥ずかしかったのを覚えている。
東京に近づく頃に夜が明けて、二日目一日は汽車の中。(急行)
青森から青函連絡船に乗るときは夜中だった。
連絡船の中で、送り役の軍曹が「おい、お前達、風呂に入るか?」というので、えっ、とびっくりしたが、その当時、青函連絡船の中には入浴料を払うと入れる風呂があった。この軍曹は何度も利用しているのでよく知っているのだ。
船の中での入浴は不思議な物だった。船が揺れると風呂の湯がざー、ざーっと溢れてこぼれる。
函館には夜明け前に着いた。
三日目も一日汽車のなか、夕方になって釧路に到着。丸三日かかったことになる。
翌日の朝、釧路の空の青い色が濃かったこと。その頃、「北国の青い空」という歌謡曲が流行っていたが、本当だと思った。
その後、何年かして、宇高連絡線が廃止になり、青函連絡船も廃止になった。
宇高連絡船の、島々を見ながら渡って行くあの雰囲気。
青函連絡船の、何となく哀愁を感じる出港、入港時の雰囲気。
もう味わえないのは何とも残念です。
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
投稿日 | : 2021/07/08(Thu) 18:58 |
投稿者 | : ひらら |
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1、笹舟を折って流して宵を待つほうほうほうたる栗の花匂う ひらら
2、客船の着く港なき新島に母の里訪う洋上乗換
(大戦末期、最後のお別れかもと東京湾より新島へ行く) フミコ
「客船の着く港なき」と「洋上乗換」の語に戦時下の新島の当時を思う。母上のお身内には会えたのでしょうか。この歌を読んだ7月1日大雨のニュースで 新島が映り 文子さんの作品とともに新島へのおもいを馳せました。
3、門先に膳所城北の総門跡の碑の建つ船町くねくね曲がる さらら
笹川家の屋敷に建っている碑。城下町膳所のようすが船町 くねくね曲がる道で充分わかる。当時 くねくねみちまで琵琶湖だったのでしょうか。
4、連絡船航路さかんな時代なり善通寺から釧路への転属 たかし
(宇高連絡船・青函連絡船・・乗り継いで)
宇高連絡船 青函連絡船 今はない。紫雲丸事故 洞爺丸事故がすぐ浮かぶ。遠路はるばる新任地へ向かわれた作者。歴史の一コマのようです。
5、幼きに親から聞きたる記憶あり瀬田から膳所まで汽船で八銭 ひさお
湖上交通の歴史を聞くよう。「汽船で八戦」がありありリアル。八銭をあざやかにおぼえてられて歌がうまれた。
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
投稿日 | : 2021/07/08(Thu) 11:33 |
投稿者 | : さらら |
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1、笹舟を折って流して宵を待つほうほうほうたる栗の花匂う ひらら
なんと雅な日本の風情 動と静 臭覚 蛍の灯りを見ようと待つひと時。
2、客船の着く港なき新島に母の里訪う洋上乗換
母上の産土の新島 人があまり密にならず空気が美味しく心安らぐ別天地 乗り換えをして母に抱かれに帰省されたのだろう。客船の着く港なきが実に新島の孤島を現す。
(大戦末期、最後のお別れかもと東京湾より新島へ行く) フミコ
3、門先に膳所城北の総門跡の碑の建つ船町くねくね曲がる さらら
4、連絡船航路さかんな時代なり善通寺から釧路への転属 たかし
(宇高連絡船・青函連絡船・・乗り継いで)
香川県善通寺市から釧路への転勤を懐かしむ。四国八十八箇所第75番の札所。807年空海帰朝後 出生地に父佐伯善通の名をとり創建したとあり。
5、幼きに親から聞きたる記憶あり瀬田から膳所まで汽船で八銭 ひさお
幼少期に親から聞いたことは今も確り覚えている作者 結句の瀬田から膳所まで汽船で八銭 なかなかいい その時世のお金の八銭が一首を上手く着地し得ている。
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
投稿日 | : 2021/07/08(Thu) 11:32 |
投稿者 | : たかし |
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鑑賞&批評 「船(または)舟」
1、笹舟を折って流して宵を待つほうほうほうたる栗の花匂う ひらら
笹舟を折って、それを小川などに流して遊んだ昔の子。私も一度か二度やった覚えがある。
作者はなつかしく思いだしている。それとも今、実際に笹舟を折って流しているのか。
その頃には宵闇を待って螢も出てきて栗の花も咲く。
笹舟、ほたる、栗の花・・揃いすぎた感じもある。
クーラーはなかったが風情があった昔である。
2、客船の着く港なき新島に母の里訪う洋上乗換
(大戦末期、最後のお別れかもと東京湾より新島へ行く) フミコ
このとき、大戦末期であったという。客船と言えども、敵機や敵艦から狙われる可能性があり、命がけのことであったと思う。
大きな客船が着岸できる港が無いので、洋上で小さな船に乗り換える。「洋上乗換」が引き締まった言葉。
3、門先に膳所城北の総門跡の碑の建つ船町くねくね曲がる さらら
この「膳所城北の総門跡の碑」は、さららさんの自宅の前、玄関ドアを開けたすぐ前に立っている。まさしく「門先に」。
この碑のある辺りからくねくねと曲がる船町。「船町」の名称がいい。「くねくね曲がる」で歌になった。
4、連絡船航路さかんな時代なり善通寺から釧路への転属 たかし
(宇高連絡船・青函連絡船・・乗り継いで)
5、幼きに親から聞きたる記憶あり瀬田から膳所まで汽船で八銭 ひさお
昔は水上交通が盛んで旅客を乗せて運ぶ船(汽船)があったのだ。
作者は幼かったので、その船賃を払った記憶はないが、親から何度も聞いていた記憶に
「瀬田から膳所まで八銭」があったのだろう。
「汽船」という名称がいかにもその頃のその時代の雰囲気を感じさせる。
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
投稿日 | : 2021/07/08(Thu) 10:41 |
投稿者 | : ひさお |
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1、笹舟を折って流して宵を待つほうほうほうたる栗の花匂う ひらら
栗の花が咲き、蛍が飛び交うのを見ることのできる宵。笹舟を作って小川に
流し、宵が深まるのを待つ。今ではこんなことのできる地域はもうほとんど
なくなったのではないか。栗の花の匂いは遠くから仄かに漂う程度だろう。
田園ときれいな小川。情趣があふれる。
2、客船の着く港なき新島に母の里訪う洋上乗換
(大戦末期、最後のお別れかもと東京湾より新島へ行く) フミコ
戦雲急を告げる厳しい状況下お別れを兼ねて母親の里である新島訪問。
洋上乗り換え。外航船から小舟への直接の乗り換えであろうか。
揺れて危険このうえないことを民間人が必死で行っていたことが分かる。
3、門先に膳所城北の総門跡の碑の建つ船町くねくね曲がる さらら
膳所の船町。門先に膳所城北の総門跡の碑の立っている家がある。
この町は城下町の常として、外敵の攻めに備えて道路はくねくね曲がっている。
たしかに膳所の街は道路は狭く、くねくね曲がっている。
4、連絡船航路さかんな時代なり善通寺から釧路への転属 たかし
(宇高連絡船・青函連絡船・・乗り継いで)
四国から北海道へ転属。自衛隊であろうか。連絡船を乗り継いだという。全部で何日かかっただろう。
私の勤務していた会社でもときどき北海道から九州へ転勤する人がいた。飛行機
を利用していたようだが。
5、幼きに親から聞きたる記憶あり瀬田から膳所まで汽船で八銭 ひさお
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
投稿日 | : 2021/07/08(Thu) 09:46 |
投稿者 | : フミコ |
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鑑賞&批評 「船(または)舟」
1、笹舟を折って流して宵を待つほうほうほうたる栗の花匂う ひらら
上の句は作者を万葉の姫君のように想える雅。
6月の、肌に纏わるような風に乗って、「烏賊がくさりはじめたような」と例えられる個性的な匂いと姿の栗の花が置かれた下の句。
ミヤビがミステリアスに置き換わったような不思議と秘めたる恋の歌かと思って読んでいるうちに叶わぬ片思いの歌に思えてきました。
2、客船の着く港なき新島に母の里訪う洋上乗換
(大戦末期、最後のお別れかもと東京湾より新島へ行く) フミコ
3、門先に膳所城北の総門跡の碑の建つ船町くねくね曲がる さらら
この門先は作者の門前なのですね。
くねくねと細い城下町の、ちょっと不便だが情緒のある町筋が今に至る風景かと想像します。詩になる散歩道。(過去、作者の詠に今ではどんな道でも運転はスイスイこなせる)というのがあったのを思い出しました。・
4、連絡船航路さかんな時代なり善通寺から釧路への転属 たかし
(宇高連絡船・青函連絡船・・乗り継いで)
自衛隊の幹部の方はしばしば転勤があるとききました。
善通寺は四国香川県、ちょっと懐かしい想い出が…?
連絡船からは哀感と古き良き日本が健康であった時代のイメージが湧きます。
5、幼きに親から聞きたる記憶あり瀬田から膳所まで汽船で八銭 ひさお
下の句、口調がリズミカルでおもしろい。
高島の新旭町には昔、サ行に訛りが有って、それを囃すのに同じ言葉が使われていたのを思い出しました。金額は違いますが..
「膳所 から 瀬田 まで 汽船 で 5銭 5銭」
「じぇじぇ」から「しぇた」まで「きしぇん」で「5しぇん、5しぇん」
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
投稿日 | : 2021/07/05(Mon) 09:35 |
投稿者 | : たかし |
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なに、なに、何の原稿だべ。
今年はキュウリの出来が良くて、太いのが毎日採れるのと、お隣も豊作で一杯いただくので
まいにちキュウリづくしの食事です。夏の終わり頃にはカッパになっていそうです。
エダマメが根付きました。種からの成長、生物の不思議を見せてくれる。
Re: 2021.07.08(木)題詠「むっ(または)ムッ」 鑑賞&批評「船(または)舟」
投稿日 | : 2021/07/04(Sun) 17:11 |
投稿者 | : ウプラ |
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たかしさん、
だったりだったり、スンマセン(笑)。
原稿まだ1行も書けてないだす。
高校生のころに「ねばならない」ばかりの自分の日記帳にあきれ果てて以来、文章を書くのをやめてしまった罰が今当たっているだす。