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2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
投稿日 | : 2023/07/14(Fri) 09:23 |
投稿者 | : ひさお |
参照先 | : |
投稿日 2023.7.14(金)
投稿者 ひさお
参照先
2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
題詠「街角」
鑑賞「梅雨」
出題者「さららさん
鑑賞 「梅雨」
1.番傘に高下駄はきて小野道風を学芸会に踊る梅雨の日 さらら
2.梅雨末期の日本を襲うこの豪雨乾燥砂漠の国に売りたし たかし
3.梅雨どきに一気に繁茂のヤマボウシおりふし葉陰にあをき実の見ゆ ひさお
4.桐の花の季(とき)すでに過ぎ梅雨ふかし犬飼志げの祥月命日 ひらら
5.灰色の猫が横切る街角をぼんやり梅雨の月が照らして ウプラ
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
投稿日 | : 2023/07/20(Thu) 23:05 |
投稿者 | : ひらら |
参照先 | : |
1.番傘に高下駄はきて小野道風を学芸会に踊る梅雨の日 さらら
番傘 高下駄をはいて小野道風を演じた学芸会の思い出。身振りや仕草もいまも
りありと覚えてられる。主役だったのでしょう。
2.梅雨末期の日本を襲うこの豪雨乾燥砂漠の国に売りたし たかし
日本では雨の言葉が100以上あるそうな。
毎年梅雨末の豪雨は辛い。作者が下句のように思われるのもわかる。が、乾燥で困ってられるので あげたし くらいの方がいいかな。
3.梅雨どきに一気に繁茂のヤマボウシおりふし葉陰にあをき実の見ゆ ひさお
小さな青いやまぼうしの実を発見。芽吹きの頃からいつも眺めてられたのでしょう。
4.桐の花の季(とき)すでに過ぎ梅雨ふかし犬飼志げの祥月命日 ひらら
5.灰色の猫が横切る街角をぼんやり梅雨の月が照らして ウプラ
4句 ぼんやり梅雨の までは、灰色、グレー一色の世界。結句 月が照らして で、一筋の明るい光。ホッとする。上手い対比。
追伸
犬飼志げの師 命日 6月25日
お墓は伏見、阿弥陀寺。
中野師とよくお参りしました。夫の退院後車を手放したので今年はお参りできませんでした。🙏
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
投稿日 | : 2023/07/20(Thu) 22:42 |
投稿者 | : たかし |
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鑑賞 「梅雨」
1.番傘に高下駄はきて小野道風を学芸会に踊る梅雨の日 さらら
番傘に高下駄というと男っぽい道具立てに感じるが、小学生くらいの小さな女の子がこの姿をして踊ると可愛いだろうと思う。
小野道風は花札の雨の札で私も知っている。柳の枝に蛙が飛びつくのを傘をさして見ている姿。
この絵の逸話は、「蛙の努力を私はしていない」と小野道風が気付いて、再度書道に打ち込み、名筆の人となった・・という言い伝えからであるという。
梅雨の頃に学芸会が行われたこともあったのですね。昭和のいつ頃だろう。
2.梅雨末期の日本を襲うこの豪雨乾燥砂漠の国に売りたし たかし
3.梅雨どきに一気に繁茂のヤマボウシおりふし葉陰にあをき実の見ゆ ひさお
ヤマボウシの花は特徴的な四弁の白い花びらを持つ。
それが6月頃に「一気に繁茂」と言う。そしてその頃にこれも特徴的な実を見ることが出来ると言う。
とげとげのある丸い実がぶらさがる。この実は秋には赤くなるのだが、梅雨のころにはまだ緑色なのだ。
絵に描いたように言葉でヤマボウシをていねいに写生、表現している。短歌版の「槇野万太郎」だ。
4.桐の花の季(とき)すでに過ぎ梅雨ふかし犬飼志げの祥月命日 ひらら
犬飼志げのは昭和52年(51歳)6月25日午後4時3分に永眠。
作者のひららさんは犬飼の命日を覚えていて、毎年その時期になると桐の花が咲くということと共に思い出すのである。桐の淡いむらさき色の花は、高い木の上に咲く。犬飼志げのをそのように気高いものとして感じている作者が感じられる。
5.灰色の猫が横切る街角をぼんやり梅雨の月が照らして ウプラ
街角を猫が横切る。黒猫ではなく、白猫でもなく、灰色の猫。
月も皓皓と照るのではなく、ぼんやりと照らす梅雨の月である。
梅雨という季節の感じはたしかにこういう白とも黒とも決まらないぼんやりとした色で、早くどっちかに決まって欲しい、じれったいような待ち遠しいような感じのものだ。なるほどね。
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
投稿日 | : 2023/07/20(Thu) 21:09 |
投稿者 | : さらら |
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4.桐の花の季(とき)すでに過ぎ梅雨ふかし犬飼志げの祥月命日 ひらら
犬飼さんは甲賀の歌の上手い先輩歌人 好日大会には坂上氏の車に同乗して信貴山 浜松など宿泊もお風呂も一緒だった。
繊細な感性 品位ある詠い方 愛と哀愁を漂わせる作品がある。
5.灰色の猫が横切る街角をぼんやり梅雨の月が照らして ウプラ
灰色の猫実に的確な観察 孤独な人の歩みとも重ねています。
ぼんやり梅雨の月がてらして 背景の詠みっぷり素敵ですね。
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
投稿日 | : 2023/07/20(Thu) 20:19 |
投稿者 | : さらら |
参照先 | : |
1.番傘に高下駄はきて小野道風を学芸会に踊る梅雨の日 さらら
2.梅雨末期の日本を襲うこの豪雨乾燥砂漠の国に売りたし たかし
イスラエルの荒野を歩いていてガイドさんがここは年に3度も雨
が降らないと言われた。その時お湿りのような雨が降った。
地球上には乾燥砂漠あり熱帯雨林あり日本の梅雨の豪雨を憂う。
3.梅雨どきに一気に繁茂のヤマボウシおりふし葉陰にあをき実の見ゆ ひさお
四季の廻りのある日本の梅雨時には緑がむくむくと湧き上がる。
ヤマボウシの青い実が葉陰に
4.桐の花の季(とき)すでに過ぎ梅雨ふかし犬飼志げの祥月命日 ひらら
5.灰色の猫が横切る街角をぼんやり梅雨の月が照らして ウプラ
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
投稿日 | : 2023/07/20(Thu) 13:07 |
投稿者 | : ひさお |
参照先 | : |
1. 番傘に高下駄はきて小野道風を学芸会に踊る梅雨の日 さらら
今では見られなくなった番傘と高下駄。なつかしい学芸会の思い出。6年生だろうか。「梅雨の日」だから、当日は雨降りだったのだ。
2.梅雨末期の日本を襲うこの豪雨乾燥砂漠の国に売りたし たかし
近年は梅雨と台風の時期に豪雨に見舞われることが多い。一方では雨が降らない砂漠の国もある。それらがうまく中和されるとよいのだが。豪雨は売れなくても、ただでいいから乾燥砂漠にあげたいくらいだ。
3.梅雨どきに一気に繁茂のヤマボウシおりふし葉陰にあをき実の見ゆ ひさお
4.桐の花の季(とき)すでに過ぎ梅雨ふかし犬飼志げの祥月命日 ひらら
1句、2句の歌い出しがきれいだ。「梅雨ふかし」と丁寧に詠んでいる。
5.灰色の猫が横切る街角をぼんやり梅雨の月が照らして ウプラ
灰色の猫、街角、梅雨時の薄曇りの月これらの情景設定が詩情豊かである。
「照らして」という結句。場面が移動していく感じを残してくれる。
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
投稿日 | : 2023/07/20(Thu) 09:59 |
投稿者 | : ウプラ |
参照先 | : |
1.番傘に高下駄はきて小野道風を学芸会に踊る梅雨の日 さらら
小野道風は書道の神様と言われているらしい。
「番傘に高下駄」が幼い可愛らしさを倍増させている。読者にとっては「梅雨の日」よりも年齢とかの方が情報としての価値が高いかもしれない。よりよく見えてくるから。
2.梅雨末期の日本を襲うこの豪雨乾燥砂漠の国に売りたし たかし
初めからずっとシリアスで重いテーマだが、最後の最後に「売りたし」ときて笑ってしまった。せこい!!
しかしながら、そこに心の救いを感じさせるところが不思議な魅力。
3.梅雨どきに一気に繁茂のヤマボウシおりふし葉陰にあをき実の見ゆ ひさお
梅雨の季節、ヤマボウシの実はまだ青い。その青い実が「おりふし」葉陰に見え隠れしている。「おりふし」という一語に日常のなかの作者が存在する。そこに作者とヤマボウシの関係性ができて、単なるヤマボウシだけの写生とは異なる。
助詞「に」が三つもあるが、そのことはあまり活きていない気がする。
4.桐の花の季(とき)すでに過ぎ梅雨ふかし犬飼志げの祥月命日 ひらら
犬飼志げのさんは好日の大先輩で私が入社したときにはもう亡くなられていた。私は犬飼さんの歌がとても好きだったので、残念な想いが強かった。
「桐の花」「梅雨時ふかし」、いずれも茫漠としていながら端正で、芯に熱があり、韻律のすぐれた犬飼さんの作品にそぐわしく感じた。
5.灰色の猫が横切る街角をぼんやり梅雨の月が照らして ウプラ
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」
Re: 2023.7.20(木)題詠「街角」・鑑賞「梅雨」