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2024.3.21(木)題詠「蕗の薹」・鑑賞「林檎、りんご」投稿日
投稿日 | : 2024/03/15(Fri) 09:26 |
投稿者 | : ひさお |
参照先 | : |
投稿日 2024.3.15(金)
投稿者 ひさお
参照先
2024.3.21(木)題詠「蕗の薹」・鑑賞「林檎、りんご」
題詠「蕗の薹」
鑑賞「林檎、りんご」
出題者 さららさん
鑑賞「林檎、りんご」
1.丸ごとをしゆわつとりんごに齧りつくこの食べ方は若さの証徴 ひさお
2.農学部実習園の青りんご弟の手より枝に付くのを ひらら
3.平壌(へいじやう)の村に林檎が咲いてゐた」敗戦の日のその白き花 ウプラ
4.終戦の幼日の我よく唄いし赤いりんごに唇よせて さらら
5.木の箱にモミガラに埋まり唄いつつ昭和のりんごは砂利道を来し たかし
Re: 2024.3.21(木)題詠「蕗の薹」・鑑賞「林檎、りんご」投稿日
Re: 2024.3.21(木)題詠「蕗の薹」・鑑賞「林檎、りんご」投稿日
投稿日 | : 2024/03/21(Thu) 18:35 |
投稿者 | : ウプラ |
参照先 | : |
1.丸ごとをしゆわつとりんごに齧りつくこの食べ方は若さの証徴 ひさお
老いは全身に漏れなく訪れる。歯茎ももちろんその例外ではない。林檎を丸かじりするのは、若いということのしるしである、とある日ある時の具体例をあげる。
「証徴」に少し違和感。
2.農学部実習園の青りんご弟の手より枝に付くのを ひらら
枝になっている林檎をそのまま農学部の学生だった弟さんがもぎりとってくれた。「農学部実習園の青りんご」と「弟」がさわやかに響き合う。新鮮な体験だったと思う。「枝に生なりしを」ではどうかな。
3.平壌(へいじやう)の村に林檎が咲いてゐた」」敗戦の日のその白き花 ウプラ
4.終戦の幼日の我よく唄いし赤いりんごに唇よせて さらら
敗戦後の日本に流れたこの歌を聴いた人たちの、さまざまな思いを想像する。何があっても時は流れ人は生きてゆく。「赤いりんごに唇よせて」・・・歌はいいものですね。「幼きわれの」が良いように思う。
5.木の箱にモミガラに埋まり唄いつつ昭和のりんごは砂利道を来し たかし
「に」「に」が気になるが、良い歌だなぁと思った。
高度成長期以前の日本の情景、雰囲気がよく出ている。
もちろん林檎の健気さも木箱やモミガラの具体も。
Re: 2024.3.21(木)題詠「蕗の薹」・鑑賞「林檎、りんご」投稿日
Re: 2024.3.21(木)題詠「蕗の薹」・鑑賞「林檎、りんご」投稿日
投稿日 | : 2024/03/21(Thu) 15:23 |
投稿者 | : さらら |
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1.丸ごとをしゆわつとりんごに齧りつくこの食べ方は若さの証徴 ひさお
リンゴも加齢とともに一個から半分徐々に 8分の一と薄く食べやすく切る。入れ歯になると一口の大きさにして頂く。海外で青いリンゴにかぶりつく若者をよく見かけた。
2.農学部実習園の青りんご弟の手より枝に付くのを ひらら
弟さんの実習園の青りんごをもいで手渡されたとき 作者は己の手で枝から採りたいと思った。
3.平壌(へいじやう)の村に林檎が咲いてゐた」敗戦の日のその白き花 ウプラ
敗戦の日と白いリンゴの花の取り合わせがなんとも心にしみる。
争いの最中でもひっそりと咲く花 兵士を癒したことだろう
4.終しみる戦の幼日の我よく唄いし赤いりんごに唇よせて さらら
5.木の箱にモミガラに埋まり唄いつつ昭和のりんごは砂利道を来し たかし
もみ殻に卵やリンゴが傷つかぬように 昭和の時代には重宝なものだった。道も舗装などされてなく凸凹道をガタガタと運んだ。
Re: 2024.3.21(木)題詠「蕗の薹」・鑑賞「林檎、りんご」投稿日
Re: 2024.3.21(木)題詠「蕗の薹」・鑑賞「林檎、りんご」投稿日
Re: 2024.3.21(木)題詠「蕗の薹」・鑑賞「林檎、りんご」投稿日
投稿日 | : 2024/03/21(Thu) 14:28 |
投稿者 | : ひらら |
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1.丸ごとをしゆわつとりんごに齧りつくこの食べ方は若さの証徴 ひさお
まるごと林檎をかじるのは若さのあかし。「しゅわっ」のかじる音ありあり聞こえそう。新鮮な青りんごが浮かぶ。「証微」は熟語でない方がよく思う。
2.農学部実習園の青りんご弟の手より枝に付くのを ひらら
3.平壌(へいじやう)の村に林檎が咲いてゐた」敗戦の日のその白き花 ウプラ
平壌の敗戦の日に林檎の花の咲いていたこと。年長者から度々聞いていて 林檎の白い花の頃になるとつながるのでしょう。
4.終戦の幼日の我よく唄いし赤いりんごに唇よせて さらら
「終戦」でなく「戦後」では。歌詞は「赤いりんごに唇よせて」としたら。幼い頃より歌姫さんだったのですね。
5.木の箱にモミガラに埋まり唄いつつ昭和のりんごは砂利道を来し たかし
「木の箱、もみがら、砂利道」昭和の道具たて。リンゴの唄をならしつつ運ばれてきた。木のリンゴ箱、みかん箱。利用されていたな。
Re: 2024.3.21(木)題詠「蕗の薹」・鑑賞「林檎、りんご」投稿日
Re: 2024.3.21(木)題詠「蕗の薹」・鑑賞「林檎、りんご」投稿日
投稿日 | : 2024/03/21(Thu) 10:46 |
投稿者 | : ひさお |
参照先 | : |
1. 丸ごとをしゆわつとりんごに齧りつくこの食べ方は若さの証徴 ひさお
2. 農学部実習園の青りんご弟の手より枝に付くのを ひらら
弟さんの在学されていた農学部の実習園に青りんごの木があった。枝にいくつかりんごのくっついているのを弟さんが持ち帰ってくれた。
「枝に付くのを」のあとに「もらった」が省略されている。
3.平壌(へいじやう)の村に林檎が咲いてゐた」敗戦の日のその白き花 ウプラ
素直に読めば、作者は終戦の日(日本の敗戦の日)を平壌で迎えた。その8月15日に咲いていた白いりんごの花がはっきり記憶に残っていて忘れられない。強い占領者から弱い敗戦者への180度の転換。その激変の日の思い出。
作者が、戦後の生まれだと、敗戦の日のことを親などから聞いたことになる。しかしそのように読むことはないように思う。
4.終戦の幼日の我よく唄いし赤いりんごに唇よせて さらら
作者の幼いころ、並木路子の「りんごの唄」が流行していた。
「終戦の幼日の我」という表現は気にかかる。「終戦後おさなきわれは」ではどうか。
5.木の箱にモミガラに埋まり唄いつつ昭和のりんごは砂利道を来し たかし
終戦後しばらく日本の道路はまだほとんど舗装されていなかったので、りんごも砂利道を運搬された。りんごが痛まないようにモミガラを緩衝材にして、木箱に詰められて。
そのりんごが「唄いながら」運ばれていたというのが面白い。並木路子の「りんごの唄」を連想させる。
Re: 2024.3.21(木)題詠「蕗の薹」・鑑賞「林檎、りんご」投稿日
投稿日 | : 2024/03/21(Thu) 09:36 |
投稿者 | : たかし |
参照先 | : |
鑑賞「林檎、りんご」
1.丸ごとをしゆわつとりんごに齧りつくこの食べ方は若さの証徴 ひさお
入れ歯のある私などはこの食べ方はもう出来ない。
確かに若さの証拠だが、証拠と言わず「証徴」と難しい言葉を使っている。
さて、作者は歯が今も丈夫でこの食べ方が出来るのだろうか。あるいは作者ももう出来なくて若い日をなつかしく思っているのか。
「この食べ方」と「この」があることを思うと、作者は前者(歯が丈夫)と思う。
「丸ごとをしゆわつと」実感豊か。
2.農学部実習園の青りんご弟の手より枝に付くのを ひらら
作者のひららさんの弟さんはイチゴを作っておられる。私も時々いただく。
大学の農学部で弟が学んでいた時に、その実習園に父兄が招かれたときのことのように思える。弟がもいでくれた青いりんごよりも、枝に付いているりんごを自分の手で取りたい作者。主体性の強い作者の性格が表現されている。
3.平壌(へいじやう)の村に林檎が咲いてゐた」敗戦の日のその白き花 ウプラ
平壌(ピョンヤン)、現在は北朝鮮の首都であるが、戦前は日本が占領支配していて、日本からの移民も多く居た。
ウプラさんは戦後生まれなので「敗戦の日」にはそこに居なかったが、父、母が日本移民として平壌に暮らしていたのかと思う。戦後、日本に帰ってから折に触れ、「庭に林檎の白い花が咲いていてね…」と、父母が若い日々を過ごした地のことを語るのを耳にしたのだろう。
「敗戦の日の」が、歌のネクタイをきゅっと締めている。
4.終戦の幼日の我よく唄いし赤いりんごに唇よせて さらら
並木路子の「リンゴの唄」・作詞;サトウハチロー。作曲;万城目正。昭和20年の映画「そよかぜ」の挿入歌として作曲された。
さららさんは、5、6歳であったか。その後「好日の歌姫」として活躍するさららさんの片鱗がすでにあらわれている。
5.木の箱にモミガラに埋まり唄いつつ昭和のりんごは砂利道を来し たかし
Re: 2024.3.21(木)題詠「蕗の薹」・鑑賞「林檎、りんご」投稿日