蝉丸神社 下の社

 

 

蝉丸神社は浜大津から京都へ向かう電車道 (国道161号線)の右側(西側)に下の社、中の社、上の社と三つが距離を置いて並んでいる。一番下の社は、(ここで出合ったおばあさんは「ここが本社やで、」と言っていた。) (写真上は下の社) 参道を京阪電車の線路が

 

通っていて踏切を越えてお参りすることになる。

ここには社の一隅に重要文化財の時雨灯篭がある。

蝉丸は歌舞音曲の神様として知られているので、音楽関係の人や、舞踊をする人などがお参りするらしく、絵馬には「コンサートが成功しますように!」とか、「いい曲が書けますように!」といった文句が多い。

 そこから暫く上へ上がったところ、「片原町」のバス停のあるところに石段がある。その石段を登ると中の社である。

 急な石段で急いで登ると息が切れる。下を見下ろすと国道1号線を行き交う車がひっきりなしである。

 さらに国道を緩い登りに沿って逢坂山の峠に向かってゆく。

峠を越えた直ぐのところで道が二股に分かれている。この右側の細い方へ入ると大谷の町である。ここには逢坂の関跡の碑 があり、鰻屋で有名な「かねよ」の店がある。この峠のところは複雑になっていて、地下に潜っていた京阪電車がここで地上に出てくる。峠の切通しを抜けて道は山科の方へ向かって下ってゆく。

 この「かねよ」の少し向こうに蝉丸神社の上の社がある。ここはあまり知られていないのかいつ来ても人の姿が見えないが、高い石段を登ると立派な社殿がある。

 (写真下は上の社)

 

 

蝉丸とはどういう人物だったのか?

百人一首に採られている歌。

「これやこの往くも還るも別れては知るも知らぬもおふさかの関」

この一首が知られているのみです。他には謡曲の中の「蝉丸」です。


謡曲『蝉丸』
 延喜帝(えんぎてい)の皇子であった蝉丸は、幼少の頃から盲目で、逢坂山に捨てられました。一方、蝉丸の姉である逆髪(さかがみ)も前世の業が深く、狂女となり徘徊していました。逢坂山で孤独の身を琵琶を弾じて慰めていた蝉丸は、偶然琵琶の音を聞いてやってきた逆髪と再会。お互いの運命を嘆き合いつつも、逆髪は心を残しながら別れていきます。


なお、東京の一角、都電荒川線の王子駅前にある王子神社(北区王子本町)に蝉丸法師を祀った関の明神があるということです。毛に悩む姉(逆髪?)のためにかつらを作ったという伝説から床山、理容業界の人たちの神様として祀られているとか、びっくりした〜

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