令和4年(2022)・沖島

令和4年度 日帰り吟行会

コロナ禍で3年間実施せず、見送ってきた吟行会を10月4日(火)に決行した。
行き先はびわ湖のなかに浮かぶ沖島。近江八幡市の北端部にあり、琵琶湖の東岸より最短部で1キロ半ほどの沖合にある。
びわ湖の島のなかでは最大の島で、唯一、住人が居る島。
当日は長命寺港に09:30に集合、近江八幡駅からバス(定期運行バス)で来る人と、自家用車で直接くる人と、ここで集合。総勢20人の参加。
船に乗る機会はそんなにないのでみんなワクワクしている様子。私もワクワク。

島は周囲約7キロで、道路はあっても一台も自動車は無く、島民の人たちは自転車(三輪)を利用して移動している。
私たちとそんなに年代の変わらないと思えるガイドの方2人が案内してくれる。
この日は天気が良くて真夏のように暑く、すべて歩いて回るので、脚力が要る。
特に学校の跡地の展望台への上り坂では、一団となっていたグループがずーっと縦に長くなる。

島内の住居のある通りは、典型的な漁師町の通りで、細い路地を挟んで家が並んでいる。これは貴重な文化遺産だとガイドの人が紹介した。
この島の住人の祖先は源氏の落ち武者であるということで、笹リンドウの紋が小学校や、寺、神社などに誇らしく掲げられている。
この沖島は明治時代から昭和40年頃までは、漁業よりも石材業が盛んな島であったという。島のそこここに大きな石がゴロゴロしている。
東海道線の盛り土の石垣や、琵琶湖疎水のトンネルなどもここ沖島の石で造られているという。

昼になって港にもどり、準備されていた昼食を摂る。足が疲れていて、この椅子に座るのが極楽の気持ち
浦山事務局長の手配があって、貴重なビワマスの刺身と煮付けが膳に載っている。みんなワイワイといっぺんに賑やかになる。
島内には大きな漁業倉庫がある。こんな小さな島にこんな大きな倉庫が要るのか?と疑問に思うが、琵琶湖の漁業は、攻撃型ではなく「待ち」の漁業で、網などを設置しておいて魚が入ってくれるのを待つ漁業のために、それぞれの大きさの魚に合わせた漁網が要るために、こんなに大きな漁業倉庫が必要になるのだという。

午後も島内の巡っていなかったお寺などを回っている内に、出航時間の14:00になる。
帰りは、これも事務局長の手配があって、伊崎の竿飛びの場所を船が回ってくれた。
船長は60代くらいの年配の人だが、親切で、操舵を操りながら説明してくれる。

長命寺港に戻ったときのこと、船が着くべき岸壁に、大きな漁船が先に接岸していて、船を岸に寄せることが出来ない。
「こんなとこに漁船おきやがって」と、船長ぶつぶつ言いながら、なんと、船を回転させて、船尾を漁船と漁船のあいだの狭い巾を通って接岸させようというつもり。
最後になっての思わぬ出来事に皆、心配そうに甲板に出てきたりして見ているが、見事に船尾を接岸させた船長。
「あっぱれ」である。最後に気分よく下船出来た。

そして、港の四阿で一同あつまって、会長のあいさつがあって、解散という前、ガイドの人が、突然「今から長命寺のガイドをします」と言う。
「えっもう解散やろ」と思いながら、皆ガイドの人の話しを聴く。
思うに、島内では、歩いてばかりでそれほどガイドの腕を振るう機会がなかったために、ここで長命寺の説明をしておこう……というような感じであった。
神妙に傾聴して、会長のあいさつを聴いて、午後3時現地解散となった。
ひさしぶりの吟行、いい思い出が出来ました。沖島の皆さん、がんばった船長さん、がんばったガイドさん、いい天気をくれた空、ありがとうございました。

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