高島万葉歌碑_高市連黒人

 

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高市連黒人(高島万葉)歌碑(巻三・二七五)

何處 吾将宿 高嶋乃 勝野原尓 此日暮去者 いづくにかわれは宿らむ高島の勝野の原にこの日くれなば

高島小学校と中学校が並んで

いるそばを北(山手)へ、関電の

変電所の前に西を向いて建つ。

【説明板】どこでわたしは宿ろうか、高島の原にこの日が暮れてしまったら

作者「黒人」は柿本人麻呂に同じく持統・文武朝(六八七〜七〇七)に仕えた官人で宮廷歌人でもあった。この歌は今からおよそ千三百年前に詠まれたものである。作者「黒人」は柿本人麻呂に同じく持統・文武朝(六八七〜七〇七)に仕えた官人で宮廷歌人でもあった。旅の歌も多く残している。大津から琵琶湖を舟で西岸沿いに北陸へ向かう途中、高島の勝野津で舟を下りた時の詠歌と思われる。荒涼たる原野を日没を迎えて旅人の野宿の心細さ、辛さを詠んでいる。