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投稿日 | : 2024/10/02(Wed) 16:16 |
投稿者 | : 選者・長 朔男・榊原洋子・古道紀美子・ |
参照先 | : |
特選5
今昔リンクし候にて
古橋童子(長浜市)
夫と一緒に、古文書を読む読書会に参加した。講師は地元の著名な歴史研究家である。第一回目の教材は、江府天文方関係の文書、つまり、伊能忠敬が始めた日本地図作成のための一行が、長浜市の湖岸辺りを測量していた時に海老江の庄屋らが書いたものだった。
古文書は展示物として見たことはあっても、拾える漢字やひらがななどを拾うのが精一杯で読めたことはない。少しでも昔の崩し字や特徴的な文字の並びが分かればと、研究とまでは行かずとも興味を持って参加した。受講者は五十名を超えていたと思う。それだけ興味を持っている人がいることに不思議な興奮を覚えた。何気ない田舎の日常の中にいては、こういった人びとの別の顔を見ることはなかなかできない。
先生が、日本独特の漢文的な文章の書き方を丁寧に読み解きながら教えてくださり、私は教材のプリントにひたすら読み方を書き入れていった。
古文書は、今とは全く暮らしも文化も違っていて私にとっては異国に近い世界で書かれたものだ。今回の教材は江戸時代のものだった。読めないことも手伝って、当時の人が実際に書いたものだという実感がないまま、講義は進んでいった。
ところが、ある一文に差し掛かった時、突然古文書から生の人間の呼吸と体温を感じたのである。
「翌日七日、八木浜村へ相詰め、御下向渡り御伺い申し上げそうろうところ……、えっと、この御下向……下向っていうのが、どういう意味なのかよくわからないんですけれども」
先生はそう言って言葉を詰まらせながら、先へと読み解きを進めていったのだが、私は突然、その「下向」という言葉を聞いて祖母のことを思い出したのだ。
「ゲコショウカ」
私が小学校に上がるか上がらないかという幼かった頃、祖母は私を親戚の家の法事参りや寺参りによく連れて行ってくれた。勤行は退屈なものだったが、その後の宴席は楽しみで、食事も普段のものより豪華なものが食べられたし、そこで賑やかにされている雑談なども楽しく聞いて過ごしていたのを覚えている。しばらくすると祖母は、私に向かってこう言ったのだ。
「ソロソロゲコショウカ」
ゲコ、ゲコ。カエルの鳴き声にも似て不思議な言葉。幼かった私は、その言葉と祖母の行動で、ああ、もう帰宅するのだと理解していたが、どのような言葉だったのか文字で表せと言われると、今でも無理である。音声として記憶の底に残っており、それは今でも「ゲコ」なのだ。
けれど、この古文書で出てくる「御下向渡り御伺い申し上げそうろうところ」という文章が、私の頭の中では、「これで失礼して帰宅したいのですがとお伺いを立てたところ」と変換された。もう、そのような意味にしか読めなかった。
隣に座る夫に、
「なあ、昔な、おばあちゃんと寺参りした時とかに、もう帰ろうていう意味で、ゲコしょうか、て言うてやんたんよ。この下向って、そういう意味じゃないんかな」
と、話しかけると、夫も頷いて、
「うん、ゲコしょう、は聞いたことがある。多分、そういう意味やろな」
と同意してくれた。
途端に、わたしはこの古文書が身近に思えた。当時の海老江の庄屋が御下向と言ったそれが、この地域のみんなに、もう帰宅しますという意味で使われていた言葉だとしたら、それを祖母はその親や祖父母から受け継いで生きた言葉として使っていたことになる。明治生まれの祖母だから、あり得ない話ではない。
今、私達は「ゲコしょうか」という言葉を使わない。「おいとましょうか」「失礼しょうか」などの言葉を使う。記憶の底に残っていても、何らかの場で帰宅する意思を伝えるために「ゲコします」と言って、通じるかどうかも怪しい。私よりも年配の方々ならば、あるいは懐かしい言葉として昔の光景や人びとや音、香りなども思い出して暖かい気持ちになってくれるかも知れないが、もしかしたらもう、この言葉は消えていく運命にあるのかも知れない。
新しい言葉がどんどん生まれては消えていく世の中である。時には「死語」などと切り捨てられる言葉もある。けれど、祖母を思い出に連れてきた「ゲコ」を、私は消えて欲しくないと感じた。研究者ではないから、ゲコが下向を意味するのかどうか確かではないが、江戸時代と今は人びとの言葉で繋がっていると実感できた出来事だった。