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投稿日 | : 2024/10/02(Wed) 16:49 |
投稿者 | : 選者・長 朔男・榊原洋子・古道紀美子・ |
参照先 | : |
特選4
魔法の声かけ
安部潤子(甲賀市)
夏になった土曜日の夕食後、のんびりとくつろいでいたところへ突然訃報が届いた。亡くなったのは、夫の妹であった。
三人きょうだいのうち、夫と義妹は昔から特に仲が良く、お互いの結婚後も同じ市内に住み交流が続いていた。夫が住職を務めていた寺のお正月やお盆の行事の時にはいつも駆けつけ、他の僧侶や寺役員の方々への食事を作るなど、よく助けてくれていた。
夫は住職を務めていた当時は忙しく、妹一家と一緒に出かけたり外食をしたりは全くできなかったので、引退後に一緒に旅行したりするのをとても楽しみにしていた。
ところが、夫が引退したのと同じころに義妹夫妻は病を得て、どちらも施設に入所してしまった。病状には波があり、何事もない静かな日々もあれば、施設から入院することも幾度かあった。常々夫は「かわいそうだから会いたくない」と言い、入所後一度も会いに行くことはなかった。
義妹のことはいつも気になりながらも、新型コロナウイルスのため面会できない日が続いた。ようやく制限が緩和され、最近になって娘二人が面会に行ったが、義妹はすっかり痩せ、記憶もほぼなくなり、会話はほとんどできなかったと、以前とは全く違う義妹の姿に驚いた様子で帰ってきた。それを聞いた私は、夫も今のうちに妹に会っておいたほうがいいのではないかと思ったが、夫は八十五歳を過ぎ、自らの心身に不安な面を抱えており、義妹の今の姿にきっとショックを受けるであろうと思うと、「面会に行こう」とは強く言えなかった。
その後義妹はほとんど食事を摂れなくなりかなり衰弱してきたものの小康状態が続いているとのことで少し安堵していたが、急変しそのまま旅立ってしまった。私たち夫婦は結局一度も面会できずに訃報に接することになってしまった。夫の心の内を察するといたたまれない気持ちであった。生きている時でさえ会うのをためらっていたのに、亡くなってしまった今、通夜と告別式に出るのはどんなに辛いだろうかと思いやった。
案じた通り、夫は会葬を遠慮すると言い、その意思は固そうであった。私がどうしたものかと困ってしまっていたところに、隣に住む、小六と中二の孫娘がやってきて、いつものように夫と話したり、一緒にテレビを観たりし始めた。そのうち夫が孫娘たちに、義妹の通夜や告別式に行かないと話したところ、孫娘の一人が、
「おばちゃんはおじいちゃんの妹やろ。この家族の中で一番行かんとあかんのは、おじいちゃんやろ。もし行かんかったら、親戚の人たちがきっと心配しはるよ」
と、諭すように言い、もう一人も、
「おばちゃんが元気やった頃、私たちもとても可愛がってもらったよ。もう二度と会えなくなるんやから一緒に行こう。」
と誘った。
二人の言葉を聞いて私はびっくりした。この短時間に、よくこんなに適切に柔らかく相手の心に届くような声かけができるものだと感心した。日頃からとても可愛がっている孫たちの言葉は魔法のように夫の心を動かし、夫は「ほな行くわ」と言った。それを聞いた孫二人は安心したように笑みを浮かべながら帰って行った。
翌夕、市内の斎場で通夜が執り行われた。不安な気持ちを抱きながら柩に近づくと、生前のように色白でつややかな肌のままの義妹が静かに眠っていた。それを見た夫は動揺しているようには見えず、「ようがんばたなぁ」と柩の中の義妹にいたわるような声をかけていた。この時も孫たちはさりげなく夫に寄り添ってくれ、私は安心した。
翌日の告別式では、高一の孫息子が、斎場でも火葬場でも移動のたびに夫に寄り添い細かく気遣いをしてくれ、夫は平常通りの様子で義妹を見送ることができた。
その翌日からも、孫たちは毎日のように何か用事がありげな様子でそれぞれやって来ては、さりげなく夫に話しかけたり一緒にテレビを観たりして、気遣ってくれているようである。
身近な人を突然見送ることになり、家族の誰もが心の中に悲しみやむなしさを秘めているなか、孫たち三人がそれぞれに異なる心遣いや気働きをしてくれたおかげで、夫も私もそれほど気落ちすることなく過ごせていることをしみじみとありがたく感じている。
孫が帰って行くたび、夫は必ず入り口で、
「明日もまた来いよ。」
と、孫たちの背中をポンポンとしながら愛おしそうに声をかける。孫たちは、自分の家に入るや、
「今日もおじいちゃんが言うてくれはった。」
と、嬉しそうに両親に伝えているらしい。お互いを思いやる魔法の声かけは続いている。