トップページ > 記事閲覧

投稿日 | : 2024/10/02(Wed) 17:26 |
投稿者 | : 選者・長 朔男・榊原洋子・古道紀美子・ |
参照先 | : |
特選1 (中日新聞社賞)
ボーダレス
朝倉圭子(守山市)
職場でクスクスと笑い合う声が聞こえてきた。楽し気な様子に私は思わず耳を傾けた。
「私たち、ほんとによく頑張ったわよね」
「うふふ、ほんまに」
雰囲気はまるで部活動帰りの女子高生だ。
「どのくらいの時間並んだやろ?配給。あの頃は毎日ひもじかったわよねえ」
「ちいっとのお米を、お粥さんにして、な?」
「ふふ、芋の蔓の髭まできれいに洗って」
九十五歳と八十六歳の女性の会話は軽快だ。少女のような横顔と声のトーン、そして「うふふ」と顔の前に両手を合わせる仕草は、年齢や悲壮感を微塵も感じさせない。
私は今、認知症対応型デイサービスで介護職として働いている。勤め始めて三か月。年齢五十三歳。介護は未経験。新しい職種に挑戦するには遅めのスタートだった。
介護職に就いたきっかけは、宮崎で独り暮らしをする認知症の母だ。隣に住む兄の助けを借りながら生活する母は五分前の記憶がなく、要支援1の状態だ。帰省するたび少しずつ、確実に症状が進んでいる。最近は物忘れだけでなく意欲の低下が顕著になり、料理をしなくなった。愛用していた鍋やフライパンは台所で眠っている。今年の春は、母が作る甘くて茶色いちらし寿司を食べることができなかった。母がだんだん遠ざかる。
私は認知症を理解したくなった。いつでも介護ができる自分でいたくなった。勢いで介護職員初任者研修の資格を取ったのだが学ぶうち、この世界の奥深さを知り、すっかり魅了された。就職したばかりだが介護職は私にとって、天職かもしれないと思っている。目標は三年後、頼れる介護福祉士になることだ。
しかし、就職活動中は悔しい経験をした。求人票には「年齢不問」と明記されているにも拘わらず、面接申し込みの電話をかけると、
「失礼ですが、おいくつですか?」
「五十二歳です」
「あー、はい、はい」
受話器の向こうの声のトーンが明らかに下がる。ある時は、
「パソコンは使えますか?今の時代、パソコンくらいは勉強しておかないと困りますよ」
と、私が質問に答える前にあまりありがたくない助言を頂くこともあった。幸運にも、
「五十二歳、いいですねえ。人生百年時代、まだまだ先は長いですよ」
と、現在働く法人で採用されたのだ。
見えない年齢の壁や線。今まで気づかなかったが、あちらこちらに横たわっている。
私が勤めるデイサービスは七十代以上の方が多く利用され、そして全員が認知症を患っている。私がこれまで抱いてきた認知症高齢者のイメージは決して良いものではなかった。が、今では全く正反対だ。不思議だが、私には目の前のお一人お一人が光って見える。
先日、紙に自分の名前を書こうとして、しかし名前を忘れた方がいた。私がその方の連絡帳の表紙に書かれた姓名を見せると、
「あら、私の名前はこれなの?教えてくれてありがとう」
と言うのだ。私は息を呑んだ。目の前の圧倒的な強さと優しさに気圧された。私がもし、名前を失くしたらどれほど不安だろう。大らかさと強靭さはどこか似ている。
一方で、
「私はもう呆けてしまって、だめやわ」
と呟く方もいる。私は掛ける言葉が見つからないまま、右手でその方の小さな背中を摩り、左手で細く柔らかい手を握る。親子以上年の離れた私に弱い部分を曝け出すのも胆力が要ることだ。私にはまだ真似できない。
中には、脳の抑制機能が失われ大声を張り上げて怒る方がいる。私はその方の目の前に座り、視線を合わせて話しかける。時間はかかるが、ある瞬間、ふっと心が通じ合った時、怒った顔がパカッと笑顔に変わる。私は嬉しくなってその瞳の奥を覗き込む。そこには不純物のない水晶のような世界が広がっている。
デイサービスに来られるお一人お一人の光の正体はきっと、年齢を重ねて培ってきた思い出や経験や思想の結晶体だ。時を経て純度が高まるから光るのだ。記憶や機能は失われても、その奥にある大切な記憶や人間性までは影響しない。生き生きと生命が輝いている。宮崎の母もきっと大丈夫。戦争孤児だった母の背中にも、たくさんの記憶や経験の結晶体が光っているはずだ。次の帰省では、もっと注意深く見てみよう。
こんなかけがえのない人たちを表わす言葉が、老人?痴呆老人?高齢者?後期高齢者?お年寄り?当てはまらない。年齢や症状で人は区切れない。私たちには差別のない新しい言葉が必要だ。
そうだ、とりあえず今はこう呼ぼう。
「先輩」