5月のWEB歌会につきましては、連休中は5月4日と6日が都合が悪く、他の日曜日では19日は三重県歌人クラブの総会があって出席できませんが、それ以外はOKです。よろしくお願い致します。
1.宙に舞うしゃぼんだま追う幼な児のいずれも十指大きく開く 秋田犬 kimi
2.銀行の跡地にすばやく葬儀社が新築されぬ 装ひ明るし シェパード ひさお
3.知らなくていたこと誰かを傷つけしやつんぼさじきは差別の用語 しばいぬ たかし
4.冬の星伝えてくれよ今はもう心の傷も全て白紙さ チャウチャウ くるはら
5.群青の空も眩しく春雪を均して越後上布を晒す 土佐犬 方舟
6.チャイム押し声を待つ間を青桐の艶めく幹を撫ぜ空を仰ぐ ポメラニアン ひらら
7.茜さす声のまぼろし風渡るサハラはむかし草原だつた 雑種 ウプラ
ひさおさん、ありがとうございます。
さて、番外編ですが、前回のWEB歌会が終ったあとにひさおさんが提案してくれた方法、
【・・・WEB歌会のあと、3日間は、出席者は誰でも疑問点などを投稿し、関係する人が何らかの考えを述べる・・・】
これを今回から(今から)実行したいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
2.銀行の跡地にすばやく葬儀社が新築されぬ 装ひ明るし
私の意図したことはほとんど皆さんのコメントで述べていただきまし
た。
少子高齢化の社会となり、新生児は年間80万人以下、年間の死亡者
は155万人以上の現代、葬儀社はかなり店舗を増やしています。
一方、銀行はATMの普及、人口の減少などにより、有人の店舗を減ら
しています。ちょうど銀行の跡地に葬儀社ができましたので、そのこ
とを詠いました。
「新築されぬ」は「新築したり」にしたいというご意見をいただき
ました。その意は葬儀社が新築の主体となるのでより力強い表現とな
るということと理解していいのでしょうか。
7.茜さす声のまぼろし風渡るサハラはむかし草原だつた
「茜さす」は日 昼 照る 君 紫などにかかる枕詞。
この作品においては、「茜さす」を受けることばが、「声」以外に
は考えられない。それで「茜さす声」と作者は表現されている。
茜色の声が実は「まぼろし」なのである。
サハラ砂漠が古代において草原だったという、今では信じられないこ
とを言う。それでそのことをまぼろしの声で聞いたということにし
て、幻想的表現にしたではないか。
5.群青の空も眩しく春雪を均して越後上布を晒す
越後上布の雪晒しのきれいなYou Tubeを見る機会を与えていただきまし
た。
私のこだわりは「春雪を均し」「上布を晒す」の動作は共に作者の行為
であるのかどうかということです。
ひさおさんの
2.銀行の跡地にすばやく葬儀社が新築されぬ 装ひ明るし
本番のときに、「新築されぬ」は「新築したり」がより強くすっきりとした表現という意見が出て、私もそのとき賛同しましたが、
よく考えるとそうではないと思いはじめています。
「されぬ」と「したり」を考えるのですが、「されぬ」には、作者のひさおさんの立ち位置というか、性格的なものが出ていると思う。
つまり「されぬ」には、「新築されたなあ」というように、新築した葬儀社に対して、最初から金儲け主義だなあとか厳しい視線は感じない。普段の通りの視線で見ている。
それに対して、「新築したり」を考えると、新築した葬儀社を「やはりな、この時代、そうであろう」というように、この「したり」の言葉自体に、この一首の読後に読者が感じるものが既に入っている感じがする。
この一首の面白さ、痛快さは、一首を読み終わってのちに余韻として時代の流れによる移り変わりがすばやく行われること、そして葬儀社という本来暗く感じるものが「装い明るく」建てられていると、諧謔味が自然と出ること。
だから、その途中である第四句の「新築されぬ」は、普通の視線で追うほうが上だと思う。
このように思い直しています。
7.茜さす声のまぼろし風渡るサハラはむかし草原だつた
この歌については、私は作者の歌意が本当はどこにあるのかがまだつかめていないので、語るべきものがない。
ひさおさんの言うような古代への思いが「声のまぼろし」に込められているのかどうか、
サハラが唐突な感じがどうしてもする。必然的にあって欲しい。
5.群青の空も眩しく春雪を均して越後上布を晒す
ひさおさんが「春雪を均して」も「越後上布を晒す」も、作者の行為なのか?と疑問を呈しておられるが、
私は作者ではないと思う。
そのような光景を見ての描写であると思う。
茜さす声のまぼろし風渡るサハラはむかし草原だつた ウプラ
何だか自分であれこれ説明したくない歌ですが・・
サハラが昔草原であったっと知ったとしても何も感じなければ、それで終わりの歌です。
私の場合、サハラ砂漠がかつて草原であったことを知り、かなり感動しました。なぜかって、ほとんど死の世界だった所が生命あふれる場所に変わったからです。遠くまで草が風にうねり、動植物の生命があり、人間の営みもあった。
「声」についても、個人的には、私の名前を呼んだ母の若い声を今でも時々思い出します。しかし、私個人の体験よりずっと遠くまで広がっていく感覚があって・・・声は生命です・・・言葉にまだ意味がなかった大昔にも原始人は「ああ」とか「うう」とか、声にしてコミュニケーションをしていたはず。親と子も、男と女も、友達同士もね。
上句は茜いろの声、下句は草原のサハラ、二句で切れています。
意味内容の異なるものに共通するのは「生命」でしょうか。
風渡るグリーンサハラの空を呼び交わし合って声が流れていきます。声が草原だったよ、と告げているのも懐かしさがあって素敵です。
そんな感じ。「まぼろし」を受け容れて読んでくださった読みもありました。
「茜さす声」は書いてある通り、そのまま受け取ってくださるのがいい。
.銀行の跡地にすばやく葬儀社が新築されぬ 装ひ明るし ひさお
「新築したり」の方がすっきりする」と書きました。
(「強くなる」と書いたのはたかしさん)。
この発言は表現を強くしたいという理由からではありません。
「されぬ」に違和感がありました。
この「されぬ」は受動態ですよね。
「新築したり」「新築されたり」「新築された」などが適当かと思います。
(私にも違和感の理由がはっきりわかりませんでしたが、少し調べてみたところ)
*「る」の受け身は無生物について用いることは少ない
*(同じく)動作主が表示されない場合「たり」「り」を伴う
*「ぬ」・・「変化の実現」を表す、自然的、
というようなことがもやもやとあった気がします。
違っているかもしれないので詳しい人に訊ねてください。
(違っていたら教えてね)
知らなくていたこと誰かを傷つけしやつんぼさじきは差別の用語 たかし
この歌、私は完全に読み違っていました。
「つんぼさじき」という差別用語を知らなかったことで、誰か(=耳の聞こえない人)を傷つけたか(或いは)傷つけたなぁ、という歌意ですね。
疑問形?詠嘆?
気になって調べてみると「や」もややこしいです。
調べれば調べるほどいい加減に文語を使っていたことがわかって恐ろしくなります。
私も含めて皆さん、自由に正しく使うことのできる口語をもっと使ってみる努力をしてみてもいいのではないかと思いました。
3、知らなくていたこと誰かを傷つけしやつんぼさじきは差別の用語 たかし
この歌についてウプラさんが触れてくれたので、作者の弁として書こうと思います。
私が意図していたことを先ず述べます。
「つんぼさじき」というのは、或る人物(この場合私です)が、職務上または立場上、知らされているべき事柄が、その人にだけ伝えられていなかったような場合、「つんぼさじきに置かれていた」というように使うことはみなさんご承知のとおりです。
そのように思える事が最近あり、知らなかったことで、誰か他の人への私の言動が、傷つけるようなことになっていたかも知れない・・・
と思うことがあったもので、
それを歌にしたものです。
しかし、私の意図通りには受け止めてもらえていないようなので、表現が今ひとつであったのかと思っています。
誰かを「つんぼ」と言ったりしたという意味ではありません。
わたしがつんぼさじきに置かれていたなあ、つんぼさじきの人は現在進行している状況を正しく把握していないので、その言動が、状況の変化を踏まえずに言葉を発して、そのことで誰かを傷つけてしまっている場合もあるかも知れない・・・というようなこと。
ウプラさん「それなら私の解釈が全く見当外れだったというわけでもない・・・」
たかし「そだね。一番最初のコメントは近かった。そこからだんだん離れていったけど」
たかしさん、ウプラさん ありがとうございます。
2番
「新築されぬ」は受け身 「新築したり」は能動的であることは気
づいていて、受け身の方が自然な感じであると思っていたのですが。
たかしさんのコメント、ウプラさんのコメントありがたくいただき
ま した。
3番
私が作者の意図からずれた解釈をしていたのですね。
作者がつんぼさじきにされていたと解釈するとは。
ちょっとむつかしすぎると思う。
ウプラさんはさすがですね。
7番
ウプラさん。作者の弁ありがとうございます。深い思い入れがある
のですね。
たかし「そだね。一番最初のコメントは近かった。そこからだんだん離れていったけど」
ウプラ「んだな、書かなきゃよかった。あわてるとろくなことないね。(反省猿)」
たかしさん、ひさおさんへ
うまく言えないのですが、私はある種の自分の歌を解釈してほしいと考えてはいないのです。でも、感じてくだされば嬉しいです。ただ、人によって感じ方は様々なのでわかってもらえないこともあります。今回の「茜さす」はそういう歌でした。まあ、きっと、思い溢れて下手なのです。でも、うまく言葉にならなくても、感じてもらえた部分はあったと思っています。
そういうわけで、ありがとうございました。
くるはらさん、実は私はこの詠草が投稿された時に、私の3番「知らなくて」の歌に応えたような歌だと感じました。
それで私の歌と並列してみます。
3.知らなくていたこと誰かを傷つけしやつんぼさじきは差別の用語 たかし
4.冬の星伝えてくれよ今はもう心の傷も全て白紙さ くるはら
ですから、この歌は作者の弁を聞きたいと思っていました。一旦投稿します。
伝えてくれよ」・・があります。
誰か特定の対象の人が居て、その人に、もう私の心の傷は治ったから大丈夫」と言っている。メッセージソングだと思っています。
くるはらさん、こんばんは
4番はさらっといい感じに仕上がっていると思いま
した。個別なものがやや希薄。その分少し流れてしまいやすいかも。生意気言ってスミマセン。
次回も楽しみにしています。
4番歌に言及有難うございました。
確かに3番歌への返歌のような趣になっていて、無意識でしたが面白いですね。
また違うスタイルの作品で5月にお会いしたいです。今後ともよろしく。
今では信じられないが、サハラ砂漠は数万年前には緑に覆われていた。そのことをまぼろしの声で聴いたような気がする。現実のはっきりした声ではなく、想像してみた声なので、茜さすような色をしていたと言い表した。
不思議な気のする考古学的事実を、幻想的に詠っている。
むつかしい歌です。
「茜さす」がこの歌では「君」に掛かる枕詞だと思う。
つまり「声のまぼろし」の声は、亡き人(君)の声。
そこから下句に展開してゆくのだが、昔は草原だったサハラ、今は砂漠として知られている。
サハラ砂漠などに関わってくる人物、もの、への感慨であろうか。
どうも私の理解はここまで。
越後上布の晒しをYou Tubeで見た。ユネスコ文化遺産に登録されている。上布とは上等な麻布。
越後上布の雪晒し。雪解けによって上布が晒される。「群青の空も眩しく」は雪景色の広広とした田んぼを想わせるにふさわしい。
作者が上布を晒す作業をしているように詠っているが、作者の若いときの経験であろうか。
「東の越後、西の宮古」という言葉がある。(ウィキペディア調べ)
どちらも日本を代表する麻織物の最高級品。
わたしは日本伝統工芸展で見たことがありますが、生成りの色の味わいのあるしっかりとした織物。
内容のすばらしいことは言うまでもないが、作者の立ち位置に問題はないだろうか。
越後上布の晒されているのが見えるというような表現にすべきではないか。
「も」は、両方を(空も上布も)指して、
そしてまず、作者が眩しいと感じたのは空の青であり、雪の白であり、その強烈に眩しい光景を現わすに「群青の空も」から歌い出したのは悪くないと思いますが。
知らなかった。私はつんぼ桟敷におかれていた。私だけに情報がないのは差別だよなぁ。知っていたらもう少し何かできただろうに。知らなくてそのまま何もしなかったから、誰か(あなた)を傷つけてしまったかもしれない、ということかな?
「つんぼさしき」という言葉そのものが人を気づ着けていたかもしれないということではないか。その言葉が、差別用語であることを知らずに平気で使っていた。
自分に情報入らなかった・・・ということを言っているのではないと思うが。
「つんぼさじきは差別の用語」は強い。
何かありそう。そこに添わせて上句をガラッと変えてはどうかな?
例えばですが、「もう少し何かができたはずだったつんぼさじきは差別の用語」とか。
ウプラさん、今まで通り1首は15分で行くことにいたしましょう。
なお、この掲示板でスムーズに歌会をするために以下のことを皆さんよろしくお願いします。
1、 ウプラさんが「詠草」を出すときは「新規投稿」で。
2、 参加者(私たち)はそのウプラさんが出したコメント(詠草)の下部にある青い左向き矢印をクリックして、意見を投稿する。
この場合、「タイトル」欄には自動的に文字が入っていますので、何も書かなくてよいです。
3、 なお、歌会が始まったら、各自「おなまえ」欄を、本来の自分のなまえ(私なら「たかし」)に直し、「アイコン」の下向き矢印を、クリックして、自分の名前にして、更に、「文字色」を決めて、「コメント」を書き上げて、それらが間違いないか落ち着いて確かめてから、「投稿する」ボタンを押してください。
4、 「削除キー」というのが一番下にあります。これは投稿した後で自分のコメントを削除したくなった場合に、ここに半角英数字で何かの記号「(例)・biwako」等、入れておくと、後で削除することが出来るものです。これは一度入れておくと、次からは入れなくても自動的に入っています。アイコンなども自動的に入ります。
5、 また、歌会が始まりましたら、のの字にくるっと回った矢印を押すか、キーボードのF5キーを頻繁に押すことは従来通りです。
おはようございます。
たかしさん、ありがとうございました。
持ち時間は今まで通り一首15分で、了解です。
それでは皆さん、後ほど、10時にお会いしましょう。
よろしくお願いいたします。
こんにちは
一人あたりの持ち時間は15分ですが、参加者が7人なので、発言が少ない場合時間が余ってしまうかもしれませんね。
このままでよろしいでしょうか。
11月のWEB歌会、ありがとうございました。
記録はPDFファイルにして保存しています。再度見ようと思う方は連絡してくだだい。URLをお知らせします。
この次は来年の2月です。またよろしくお願いします。
新しい人の参加も待っています。
WEB歌会についてはたかしさんに多大のご負担をおかけしている。番外編についても、いろいろ整理をしながら進めていただき、教わることが多い。特に短歌の解釈、表現の仕方など細かいことを、本番では十分解明できずに終わっても、番外編で疑問が解決できることが多い。
このたび、たかしさんは番外編廃止の考えを表明された。確かに番外編は進行が難しく、時間がかかる。指導者クラスの人にとっては、時間の無駄と思われるかもしれない。
私の個人的な意見としては、番外編を続けてもらえればありがたい。
番外編を廃止する場合は、WEB歌会のあと、3日間は、出席者は誰でも疑問点などを投稿し、関係する人が何らかの考えを述べるということができないだろうか。積み残した疑問点などの解明ができる何らかの方法が採れないだろうか。
ひさおさん、ありがとうございます。
番外編について、夜でもあるし、みなさんも私も疲れていて・・・と、廃止を考えました。
しかし、後半の提案されたこと、これはいい方法だと思います。
夜8時に皆が集まって・・というのは止めて、本番後の3~4日間は、誰でも、どんな時間でも、自由に疑問点、質問を書き込める。
その発言に応答できる人が、これも誰でも、どの時間でもそれについて応えて書くことにする。
この方式を採用したいと思います。当日の夜はみな疲れているし、「どうする家康」もあるし、風呂もあるし、当日の夜は難しいけれども、
日を選ばず、時間も選ばずに書き込めるのであれば、非常にグッドです。
歩く「ぶつぶつ」と間違えて入ったら、ひさおさんの大切な提案があったのですね。
「いつでも編」賛成です。
これまで番外編はたかしさん、ひさおさんの負担が大きすぎましたね。
次回を楽しみにしております。
12月の東京支社の歌会のときに、方舟さん、kimi さんに伝えます。
入り方なども。
皆さま よろしくお願いします。
パスワード式掲示板に入れない場合があるようです。
今回も入れない方がありましたので、
WEB掲示板を、これに変更いたしました。
使い方はわかると思います。
おなまえ・・・・●記入
タイトル・・・・●返信であれば自動的に「Re:_〇〇〇」というように、親記事の番号、あるいはタイトルが表示されるので、記入の必要はありません。
コメント・・・・●記入
アイコン・・・・適当なものをお選びください。
文字彩・・・・・適当なものをお選びください。
削除キー・・・・これは、コメントを投稿した後で、自分のコメントを削除したい場合に、ここに英数字で8字以内の記号(任意)を入れておくと削除できるものです。
特に記入しなくても大丈夫です。
以上です。
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