1.赤や黄の落ち葉よびこむ空きガレージパールホワイトのボディたちくる ワカサギ釣り
赤、黄、パールホワイト:色彩豊富。
パールホワイトの車を最近手放して、運転を止めたらしい。
車のないガレージに落ち葉が吹き込んでくる。車のあったときの光景が頭を過って、車を手放したことを少し残念に思っているようだ。
カラフルな歌ですが、わたしはこの「ガレージ」が作者の家のガレージなのか、一般的なガレージなのか、その辺りがどうなのかが分かったらいいのに、と思った。
「よびこむ」が丁寧。
空っぽのガレージが落葉を呼び込む。
ガレージがモノを容れたがっている感じ。
ガレージの本質で面白いね。ガレージのサガ?
少しカタカナが多すぎる気がする。第四句「真珠の白の」などと和訳した方がよいのではないか。
あ、ひさおさんの評を読んで分かったこと。
「たちくる」は「顕ちくる」なんですね。
わたしはそうではなく「ボディ達くる」と「達くる」と読んだので、息子たちが同じ色の車でやってくる、と読んだのです。
パールホワイトの車がたちくるとあるので、ガレージは一般的なものではなく、自宅のガレージであろう。
ボデイたちと複数になっているので、貸しているガレージかも
パールホワイトのボデイというのが よくわからない
わたしも「たち」を方舟さんと同じに、複数の意味と読んだのです。
「パールホワイト(真珠の白の)のボディが消えて」と
定家の「花も紅葉もなかりけり」に倣うのもありか。
「パールホワイト」が外せなければ、「ガレージ」を「車庫に」と言い換えると、座りがよいような気がする。
1.赤や黄の落ち葉よびこむ空きガレージパールホワイトのボディたちくる ワカサギ釣り
たちくる 複数のたちではなく 顕ちくるだろう。
「空」という漢字には、寂しさや空しさがあるように思う。
一番最初のひさおさんの評がもっとも適格と思う。
作者は多分、クルマを手放したのでガレージが空になった。その空間に今、赤や黄色の落葉が舞いこんでいるが、パールホワイト色であった愛車の姿が顕ちあがるよ、と言っている。
今はそこに無い車を詠むなら「顕ちくる」より「浮かび来」でもよいのでは?