6.朝七時0度の風に吹かれつつ我は回転寿司となりゆく
「回転寿司になりゆく」について回転のことばかり注目しすぎて、ウォーキングで狭い場所を何回も繰り返し回るという解釈をしました。それではコンベヤーに乗るということをうまく掬いあげていないので、よくない解釈になっていたと反省しています。
ひさおさん「よくない解釈」とは思いません。わたしも「回転」という言葉を木の葉がクルクル風に吹かれて回っているようなイメージを持ちました。
・・0度の風に吹かれつつ・・・「風に吹かれながら」ですからこのイメージを持つのは悪くないと思います。むしろ夢が生まれる。
作者のくるはらさんの解説「毎日同じ時刻に同じ道路を走る、ベルトコンベアーに乗せられたように・・・」というのは、その解説を聞けば「なるほど」と思うのですが、理に少し踏み込んでいるように思う。
つまり、ベルトコンベアーの解釈は、歌が現実的で堅牢になるけれども、フワッとした夢のふくらみは失う・・・このように思います。
「ベルトコンベアーに載せられて~」という余計な説明をせずに、「回転寿司」のような通俗的な平凡なものの一部になっていく、という感じを表現するだけでよかったかな、と思います。たまたま数日前に回転寿司を食べたので、口をついて出ただけのような言葉でしたが。
ひさおさんの読みは違っていたとは思いません。
私も最初の段階ではたかしさんと同じく「回転寿司」を落ち葉のことかなぁと、イマイチわかりませんでした。
でも「車列に」とされたことで複数になり、車両の1台1台が色々なお寿司みたいに、無理なく見えてきました。
視覚的(回転寿司=車)にも、心情的(ベントコンベア上の画一性)にも重なり、かなり良い比喩になっていると思いました。