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11/28 題詠「聖」・鑑賞&批評「夢」
投稿日 | : 2019/11/22(Fri) 09:57 |
投稿者 | : フミコ |
参照先 | : |
★ ★ ★ ★ ★ ★
11/28 (木)
鑑賞&批評 「夢」
題詠 「聖」
出題 さららさん
※ ※ ※ ※ ※ ※
批評 詠草一覧
1. 降り立てる夢見が丘に衿を立て寒月に光(て)る湖を見ており ひらら
2.. 身めぐりをよろこぶ術と引き換えに夢の苗箱手放したかも フミコ
3. 夢見が丘の楓のひこばえ庭に植えしが40年経て屋根までとどく さらら
4. 何度見たか数えきれない内田吐夢監督・千恵蔵主演「血槍富士」 たかし
5 ふたたびは 還れぬ夢(いめ)の過ぎゆきやほうたるほたる掌の窪に狩る 蔦の道
6. 夢であれ夢であれよと願ひつつ必死に逃げをりなほも覚めずに ひさお
★ 番外編、「羽衣」は、11/29に、短歌形式、都都逸形式、各自得意のやり方で、風前灯ボードでやってみませんか。
Re: 11/28 題詠「聖」・鑑賞&批評「夢」
投稿日 | : 2019/11/28(Thu) 14:42 |
投稿者 | : フミコ |
参照先 | : |
1. 降り立てる夢見が丘に衿を立て寒月に光(て)る湖を見ており ひらら
近くに居ながら知りませんでした「夢見が丘」。
寒月との取り合わせが暫しの非現実を浮き上がらせていて、更に現実から遊離した美しさを放つ琵琶湖。
身を切るような寒さも美しさを際立たせるシチュエーションに加わっている。
一人なのか、誰かと一緒に居ながらの孤独感なのか。鋭い静けさが詠われている。
2.. 身めぐりをよろこぶ術と引き換えに夢の苗箱手放したかも フミコ
3. 夢見が丘の楓のひこばえ庭に植えしが40年経て屋根までとどく さらら
夢見が丘から零れ生えの楓の苗を自宅に移植した作者。
それから40年、苗は大木になり、樹高はいつの間にか屋根を越した。
作者はしみじみと来し方を振り返り、木の生長と自分史を重ねているのではないか。
4. 何度見たか数えきれない内田吐夢監督・千恵蔵主演「血槍富士」 たかし
片岡 千恵蔵全盛の頃。一世風靡の感があった。
独特の声。存在感。テレビのない頃、黒白映画。
農村では田んぼの中のにわかづくりの小屋はいつも満員。なつかしい。
5 ふたたびは 還れぬ夢(いめ)の過ぎゆきやほうたるほたる掌の窪に狩る 蔦の道
「掌の窪に狩る」がとても詩的。
竹久 夢二の儚げで嫋やかな女性がうかぶ。
すぎゆきの恋の残像が掌に明滅する蛍の一夜の生にかさなるのでしょうか。
(都都逸に垣間見る作者の振幅の大きな感性に幻惑されそう。)
6. 夢であれ夢であれよと願ひつつ必死に逃げをりなほも覚めずに ひさお
不思議な感覚の歌である。結句、「なほも冷めずに」が歌を個性的にしていると思う。恐ろしい夢を見ながら、これが夢であってほしい…と願っている自分、それでも醒めずに逃げている。
その状況を把握しているのも自分だという、フロイトやユングの心理学の夢分析の講義を思い出した。冷や汗びっしょり。忘れられない夢。
Re: 11/28 題詠「聖」・鑑賞&批評「夢」
投稿日 | : 2019/11/28(Thu) 13:47 |
投稿者 | : さらら |
参照先 | : |
1. 降り立てる夢見が丘に衿を立て寒月に光(て)る湖を見ており ひらら
冬の比叡山中腹から寒月に光るびわ湖を眺める忘れえぬ 清らかな空間
広がりに寒さも忘れ佇む。
2.. 身めぐりをよろこぶ術と引き換えに夢の苗箱手放したかも フミコ
忘己利他の心を歌われたのか 少し難解な歌。
3. 夢見が丘の楓のひこばえ庭に植えしが40年経て屋根までとどく さらら
4. 何度見たか数えきれない内田吐夢監督・千恵蔵主演「血槍富士」 たかし
時代劇の千恵蔵主演の作品「血槍富士」重厚な見ごたえのある映画なのでしょう。
夢中になれるものがある作者は人生をエンジョイされて素晴らしい。
5 ふたたびは 還れぬ夢(いめ)の過ぎゆきやほうたるほたる掌の窪に狩る 蔦の道
なんとはかなく優しく愛しい歌なのでしょう。ほうたるほたるのリフレインが一首を
格調高く導いている。
6. 夢であれ夢であれよと願ひつつ必死に逃げをりなほも覚めずに ひさお
平穏に過ごされているのに夢は想定外の恐ろしい場面がくりされる。
夢の摩訶不思議をキャッチされ 誰もが体験するまれな瞬間ですね。
Re: 11/28 題詠「聖」・鑑賞&批評「夢」
Re: 11/28 題詠「聖」・鑑賞&批評「夢」
注意
投稿日 | : 2019/11/28(Thu) 11:43 |
投稿者 | : たかし |
参照先 | : |
蔦の道さん、今日木曜日は、メンバー各自が
1,今週の「お題」に沿って、題詠の詠草を投稿する。
2,先週のお題に各自が投稿した詠草を批評する。
この二つです。
それ以外の投稿、コメントは、翌日(金曜日)以降です。
このルールを守ってほしい。
まだ、メンバーの方全員の、感想、批評が終わっていないうちに
こうした一つの歌について、突っ込んだコメントをするのは
控えてほしいのです。
以前、ひろゆきさんにも、このことで「違反です」と警告をだしました。
覚えておられると思うのですが。
Re: 11/28 題詠「聖」・鑑賞&批評「夢」
Re: 11/28 題詠「聖」・鑑賞&批評「夢」
投稿日 | : 2019/11/28(Thu) 11:07 |
投稿者 | : ひさお |
参照先 | : |
1. 降り立てる夢見が丘に衿を立て寒月に光(て)る湖を見ており ひらら
「夢見が丘」は滋賀県内に何か所かあるらしい。ここでは比叡山ドライブウエー
の展望台と考えるのが妥当と思う。夢見が丘の展望台のところで車から降り、
寒月に照らされ輝いている琵琶湖を眺めている。寒いのでコートの衿を立てて。
何か悲しいことか寂しいことがあって、こころを癒しているのであろう。
「衿を立てて」は寒さをしのぐ細かい動作で、よく効いている。
2. 身めぐりをよろこぶ術と引き換えに夢の苗箱手放したかも フミコ
今回の6首の中では、作者の意図したことが一番分り難かった。
「身めぐりを」「よろこぶ術と」となっていて、「よろこばせる術」とは
なっていない。「身めぐりの」ともなっていない。だからよろこぶのは作者本人である。
自分の好きなことをいろいろと、誰からも干渉されずにやってきて、喜びを味わってきた。
しかしこのため何かを深く追求して極めるという夢を手放していたかもしれない
と思うようになった。自省の弁。・・・・苦しい解釈です。
3. 夢見が丘の楓のひこばえ庭に植えしが40年経て屋根までとどく さらら
「夢見が丘」は比叡山ドライブウエーの展望台のあるところと考えられる。
ひこばえを引っこ抜いて庭に植えて40年。みごとに育った。
ひこばえというのは普通大きな木の根っこのあたりから出る芽で、それ自体
に根はないものと思っていた。この歌の「ひこばえ」はそのあたりに自然生え
していた小さな苗のような木のようだ。
4. 何度見たか数えきれない内田吐夢監督・千恵蔵主演「血槍富士」 たかし
句またがりを駆使してうまく一首に仕立て上げた。残念ながら私は一度も見て
いない。片岡千恵蔵はたしかに人気があった。
5 ふたたびは 還れぬ夢(いめ)の過ぎゆきやほうたるほたる掌の窪に狩る 蔦の道
古語辞典によれば、「いめ」の「い」は寝。「め」は目。眠っていて見るものの意。
「ゆめ」は「いめ」の転と解説されている。
作者は「ゆめ」と読まずに「いめ」と読むことに拘っている。この夢はかなり昔に見た
夢であることを伺わせる。
作者の少女のころ、ほたるを両方の掌で手つかみしたころの回想。その昔にもう還る
ことはできない。思えば夢のような世界だった。「ほうたるほたる」が柔らかく幻想的
で効いている。「掌の窪」はほたるを捕まえるときの動作を具体的に表現している。
6. 夢であれ夢であれよと願ひつつ必死に逃げをりなほも覚めずに ひさお
Re: 11/28 題詠「聖」・鑑賞&批評「夢」
Re: 11/28 題詠「聖」・鑑賞&批評「夢」
投稿日 | : 2019/11/28(Thu) 09:51 |
投稿者 | : 蔦の道 |
参照先 | : |
1.降り立てる夢見が丘に衿を立て寒月に光(て)る湖を見ており ひらら
一読詩的で美しい世界。もの皆凍っている現世ではない恐怖も感じさせる。降りたてるの言葉は何から降り立つのか?わからないが夢の世界で作者が見ている非現実かもしれない。理屈づめに分析しないでこの非現実を味わえばいいのかもしれない。ただ、衿を立ての具体で現実になった。この言葉は余計に感じる。
2.. 身めぐりをよろこぶ術と引き換えに夢の苗箱手放したかも フミコ
上手だなあと思う。夢の苗箱の言葉に幾多の実りを諦めた作者の小さい後悔も聞こえてくるが、それにも勝る巡りの人びとの喜ぶことと幸せを優先させて生きてきた作者の誇りと矜持が匂い立つのである。自己犠牲の星座の面目躍如である。
3. 夢見が丘の楓のひこばえ庭に植えしが40年経て屋根までとどく さらら
ひららさんとさららさんは兄弟かしら?姉妹かしら?
見事に育った楓の木に象徴されて作者の夢の実りが暗示されている。
植えしがの、しがを外そう。リズムが乱れる。
4. 何度見たか数えきれない内田吐夢監督・千恵蔵主演「血槍富士」 たかし
言いたいことてんこ盛り。
何度も読んでいると声調は気にならなくなりそうだが、、、。
数えきれないの言葉を捨てて内田吐夢に続けるか、
千恵蔵主演を捨てて千槍富士に続けるか?
血沸き肉躍る作者の思いは伝わるのだから。
5 ふたたびは 還れぬ夢(いめ)の過ぎゆきやほうたるほたる掌の窪に狩る 蔦の道
6. 夢であれ夢であれよと願ひつつ必死に逃げをりなほも覚めずに ひさお
ちゃんと完成してますね。全体の粘っこい詠いぶりが、悪夢に追いかけられている緊迫感として伝わる。粘っこさは作者に似合うのかもしれない。作者は助かったかなあ。
Re: 11/28 題詠「聖」・鑑賞&批評「夢」
11/28 題詠「聖」