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7/25 題詠「尾」・鑑賞&批評「夏」
投稿日 : 2019/07/19(Fri) 22:44
投稿者 フミコ
参照先

7/25 (木)

鑑賞&批評 「夏」
題詠    「尾」     
出題     ひさおさん       


7/25 (木) 「夏」

1. 梅雨晴れま夏空低くとぶ蝶の影を追いつつ坂のぼりゆく  さらら

2. この夏はウナギを捕らん家族四人もう蒲焼きは要らぬと言うほど  たかし

3. 十月にハワイへ行きて蒸し暑しそこは常夏泳ぐ人あり  ひさお

4. 鮒鮨に夏バテアカンの結び文滋賀版添う包み母から  ひらら

5. 夏来れば担任教師の招き受け真野浜に向かうしじみを捕りに  ひろゆき

6. にっぽんがまだ勝っていたあの夏の熱砂の新島あうら(足裏)に残る  フミコ
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たかしさんへ
投稿日 : 2019/07/27(Sat) 11:48
投稿者 ひろゆき
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ウナギ捕獲手法、よくわかりました。
私たちが疏水で泳いていたころ、夕刻になると疏水の石積みの間へ1メートル足らずの竹に
糸をつけ、その先の釣り針の先にミミズ(だったと思います)をつけて帰られる人がありました。
もちろん、入川の鑑札もつけ・・雑魚釣りも同じ・・翌朝はやく捕りに行かれるのでしょう。
捕獲現場を見たことは有りません。
ただ、他の小さな河川で魚釣りをしていたころ。同じく和船で夕刻川中へ疏水と同様の竹筒を
挿しておられました。私たちの捕獲は圧倒的に鮒が多く、ときに大きな鯉がかかり竿を折られ
るというハプニングもありました。進学校が決まった昭和26年の初めです。
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・鑑賞&批評「夏」
投稿日 : 2019/07/27(Sat) 11:29
投稿者 ひろゆき
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さららさんへ
鑑賞・評をありがとうございました。おっしゃる通り本当に私たちに貴重な日を提供していただきました。
しじみ捕りはもちろん、近江舞子のテントキャンプにも指導・監視役としてお付き合いいただきました。
もちろん、この時代のこと、男性だけのことを記していますが、クラス同窓会をしたとき、女性も頻度の差こそあれ、
先生のお家へ、また泳ぎにも行ったとのことでした。
先生がご健在の間にクラス同窓会が出来ればよかったのですが、何しろ訃報を聞いた時の年齢が40代前半でしたから。
ありがとうございました。
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余談
投稿日 : 2019/07/27(Sat) 09:31
投稿者 たかし
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2. この夏はウナギを捕らん家族四人もう蒲焼きは要らぬと言うほど  たかし

いろいろなウナギ捕りの方法を書いていただきました。
私は中学生の頃、ひららさんの書いておられる「流し針」で、ウナギを獲るのに夢中でした。
流し針というのは、大きなウナギ用の針を丈夫なタコ糸で結び、
タコ糸を1メートルくらいの長さ、それを同じくらいの長さの篠竹を
藪で切って来て、篠竹の一方の端に針のついていない側のタコ糸を
しっかりと結びつけます。
そして弓のように篠竹を曲げて、もう一方の端に針をひっかけます。
これで一組の仕掛けが完成です。
あとは川に仕掛ける直前に、針にドジョウを付け(ドジョウが採れなかった場合は太ミミズ)
て、夕方、川にゆき、岩と岩の間にこの篠竹を曲げて挟み、
外れないようにしっかり取り付け、ドジョウを付けた針を流れに流しておきます。
こうしたものを30組ほど作り、仕掛けて、
翌朝、夜が明ける前のまだ暗いうちに川へ見に行きます。
中学生の頃、ひと夏に5,6本採れたくらいでした。
収穫ゼロの日も多かった。
ひさおさんが、絶滅危惧種のウナギなのに・・・との心配、
そんなには捕れないと、実は思っています。
しかし、私達の頃と違い、今の中学生たちは、川に入ったりしていず、
スマホの画面に夢中ですから、案外、川や沼地、こんなところに?
というような場所にウナギは居るということは、経験から知っています。
2,3匹は捕りたいと・・・

この流し針はだから慣れていますが、
フミコさんの書いておられるタツベの仕掛けというのも大人になって知りました。
だからそれにも挑戦してみたいと思っているのです。
ひろゆきさんの水中眼鏡と銛での捕獲は、もうこの歳ではちょっと無理かと思います。
川の水はすごく冷たいので・・・

ウナギの時期が来ていますが、裏やぶの草刈りがまだ終わっていないので、
7月中は藪の草刈りに集中。
8月に入ってから仕掛けづくりをしたいと思っている段階です。
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「夏」鑑賞・批評
投稿日 : 2019/07/27(Sat) 09:14
投稿者 さらら
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1. 梅雨晴れま夏空低くとぶ蝶の影を追いつつ坂のぼりゆく  さらら

2. この夏はウナギを捕らん家族四人もう蒲焼きは要らぬと言うほど  たかし
家族4人がこの夏は鰻を何度も十分に頂いた。もういらんと言うほどに
肉やウナギはたまに頂くのがおいしい。人間はいろいろの物を食する。

3. 十月にハワイへ行きて蒸し暑しそこは常夏泳ぐ人あり  ひさお
常夏のハワイ。命の短い蝉などには出会えない。月下美人が朝に萎えていたのが
思い出される。海外では日本の四季とは程遠い体験をする。

4. 鮒鮨に夏バテアカンの結び文滋賀版添う包み母から  ひらら
鮒ずしは嫁ぎ先の人等は誰も召し上らない。それでも娘のために夏バテあかんの結び文
滋賀の新聞に包まれた大好物が届いた。母親の深い愛情が伝わる。結句がおしい。

5. 夏来れば担任教師の招き受け真野浜に向かうしじみを捕りに  ひろゆき
昭和の先生は子供の目線でふかいみちびきと交流を図る。野外事業よき時代でしたね。
じじみとりを計画してひと日を付き合って下さる先生のこと事はいまも忘れない。

6. にっぽんがまだ勝っていたあの夏の熱砂の新島あうら(足裏)に残る  フミコ
平和な時代の夏 熱砂は素直に暑い足裏に感じる真夏の暑さ子供のころの夏が
懐かしい親も友達も一緒だった。
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鮒ずし」
投稿日 : 2019/07/26(Fri) 13:46
投稿者 ひろゆき
参照先
鮒ずしってなんであんなに高い・高価なのだろうと思っていました。先輩が鮒ずし用の鮒のいけす?を
作りに出かけると聞いた時はそんなものかと思っていました。今から60年前の話です。
また、噂に異臭を放つとも聞いていました。先輩の話を聞いてから、半世紀以上食することがありませんでした。
たまたま滋賀県御出身のご町内の方からいただき、はじめて出会い、食することが出来ました。
正直、栄養満点と聞いていましたが食べなれない高級食品のこととて少しずつ少しずつと。
翌年もまた事前にお申し出をいただいたのですが・・・。
 鮒ずし始末記です。
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・鑑賞&批評「夏」付録
投稿日 : 2019/07/25(Thu) 20:50
投稿者 ひろゆき
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たかしさん、ウナギ捕り、水中眼鏡と巧みな銛での捕獲と思います。
鴨川にもかってはいました。箱眼鏡で捕獲。帰って頭に銛を刺し。…
ぜひともウナギの刺身を。その昔、従弟て誘われ、寝屋川の店でし
か食べられないという料理店・一杯飲み屋で食しました。若かった
のですが、私には脂が強くて。忘れられない記憶です。勿論、蒲焼
に出てくる半身でしたが。お試しにどうぞ。
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Re: 7/25 題詠「尾」・鑑賞&批評「夏」
投稿日 : 2019/07/25(Thu) 20:29
投稿者 ひろゆき
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題詠「夏」について、鑑賞・批評をいただきありがとうございました。
この歌の根っこにあるのは、担任の先生が大学を卒業され、初めての中学の教師生活であつたと思います。戦後の昭和23年に赴任してこられました。非常に親切で同期の数学の教師と仲が良く、担任学級の面倒をよく見られました。
歌では、招きを受けとしていますが、実態は「先生、行ってもよろしいか」でした。当時三井寺にお住まいで、その宅で泳ぐに最低限のものを持って真野浜へ、でした。(戦後未だ物のなかった時代、良いものは盗まれた。鴨川も疏水も同じ)
たかしさん 小学高学年と推測されました。真野浜でしじみを捕る・捕れるにはちょっと深くて、泳ぎに達者でなければ。水深は当時立って首ぐらいでした。大体ひとり二・三合は捕ったでしょうか。
フミコさん 子供の担任か自分の担任か、昭和40年代、真野浜はまだ澄んでいたと。もう一度しじみ捕り
をとは思っていたのですが、皆職業人になり、声掛けできませんでした。先生も膳所校へ転勤されましたか
ら。(余話 膳所校でヨット部の部長、転勤された後、行ったとき、ヨットに乗せていただきました。一緒
に行った仲間が先生、代わりますというほどの技術・技能でしたが。)
ひさおさん、よく教師という言葉を読んでいただきました。膳所校在学でしたから、ひょっとして学ばれた
かもしれません。国語の先生です。伝えるべきかどうかは迷いのままに、でした。
ひららさん なつかしい物語との鑑賞・評でした。私にとって忘れることのできない先生です。

(余話)
先生がお亡くなりになってからも何度も伺いました。もうその時は南郷にお住まいでしたが、奥様に地下
の書棚を見せていただき、圧倒されました。自分として、今も悔いが残るのはお通夜・葬儀告別式に出向けなかったことです。何しろ新制中学の1年次から担任でしたから。先生と一緒になってグランドとすべき広場で石ころを拾い、ローラーを曳いた時代でしたから。連絡をいただきながら、当日、人事委員会に在って大卒の二次試験日の責任者として休みをとれなかったことです。奥様もすでにお亡くなりになり、また、よく伺った同期の男性も・・・で。いつも私事が多いとお叱りを受けるのも覚悟していますのでどうぞ。
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Re: 7/25 題詠「尾」・鑑賞&批評「夏」
投稿日 : 2019/07/25(Thu) 20:18
投稿者 ひらら
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さららさんの詠草

 十三年朝の湖岸を散歩せしヒルツの尻尾直立に揺らし

  代送です。
フミコさんへよろしく
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Re: 7/25 題詠「尾」・鑑賞&批評「夏」
投稿日 : 2019/07/25(Thu) 16:42
投稿者 ひらら
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6. にっぽんがまだ勝っていたあの夏の熱砂(足裏)に残る  フミコ
 追伸
  にっぽん の ひらがな表記。日本が負けるのような気配もなく 作者も幼く穏やかな日々、多分大人たちもその後の日々なんて思いもしなかったであろう。そのような気持ちが込められているのかと思いました。
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Re: 7/25 題詠「尾」・鑑賞&批評「夏」
投稿日 : 2019/07/25(Thu) 16:23
投稿者 ひらら
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1. 梅雨晴れま夏空低くとぶ蝶の影を追いつつ坂のぼりゆく  さらら
 雲は垂れ込めているが梅雨の晴れ間 低く飛ぶ蝶の影を追いつつ坂道をいく。辺りの景色 梅雨の間の空気感 作者のあえぎ感 伝わる。佳作。
2. この夏はウナギを捕らん家族四人もう蒲焼きは要らぬと言うほど  たかし
 詠みだしから終わりまで夏へ向う作者の意気込みが爽快。琵琶湖の天然鰻美味しかろう。10代の頃うなぎ取りの上手い人につき流し針し掛け翌朝鰻を貰った。父が蒲焼きにしてくれた。
3. 十月にハワイへ行きて蒸し暑しそこは常夏泳ぐ人あり  ひさお
 ハワイの十月 常夏 蒸し暑く
泳ぐ人がいる。十月なのに めずらしく驚いているような作者の様子がよみとれる。
4. 鮒鮨に夏バテアカンの結び文滋賀版添う包み母から  ひらら

5. 夏来れば担任教師の招き受け真野浜に向かうしじみを捕りに  ひろゆき
 湖西に住まわれている先生が招いて下さり真野浜へしじみとりに行ったことを夏が来ると思い出す。
先生と生徒の関係も 琵琶湖の様子も懐かしい物語のようだ。
6,にっぽんがまだ勝っていたあの夏の熱砂の新島あうら(足裏)に残る  フミコ
 にっぽんがまだ勝っていた頃 作者の幼かった頃。夏の新島の熱かった砂 足の裏の熱さ。私の足裏は今も覚えている。もうすぐ八月が来る。

だ勝っていたあの夏の熱砂の新島あうら(足裏)に残る  フミコ
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Re: 7/25 題詠「尾」・鑑賞&批評「夏」
投稿日 : 2019/07/25(Thu) 14:11
投稿者 ひらら
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 煙噴く京アニスタジオ背に負うて取材さる社長語尾の震える
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題詠「尾」
投稿日 : 2019/07/25(Thu) 11:59
投稿者 たかし
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目に見えぬ尻尾振りまわす草刈り機ひと日使いて緑に染まる
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Re: 7/25 題詠「尾」・鑑賞&批評「夏」
投稿日 : 2019/07/25(Thu) 10:56
投稿者 ひさお
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葛籠尾崎の湖底遺跡に謎多し縄文土器にも欠損少なし  ひさお
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Re: 7/25 題詠「尾」・鑑賞&批評「夏」
投稿日 : 2019/07/25(Thu) 10:54
投稿者 ひさお
参照先
題詠 今週の出題
  関西  でお願いします。
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Re: 7/25 題詠「尾」・鑑賞&批評「夏」
投稿日 : 2019/07/25(Thu) 10:52
投稿者 ひさお
参照先
1. 梅雨晴れま夏空低くとぶ蝶の影を追いつつ坂のぼりゆく  さらら
 うれしい梅雨の晴れ間。久しぶりに散歩をしようと外へ出た。
梅雨明けではないので、雲はまだ低いところに多くみられる。そんな時
蝶が飛んできてその影が写っており、自分の行く方向の坂道に影が
移動している。しばらくはその影を追うように坂道を上った。
梅雨の晴れ間、飛ぶ蝶により心の弾みが伝わってくる。

2. この夏はウナギを捕らん家族四人もう蒲焼きは要らぬと言うほど  たかし
作者は川の天然うなぎを補るのがうまいようだ。この夏は4人家族が
うなぎの蒲焼を食べ飽きたというほど、多くのウナギを捕ることを
目標したいという。「この夏はウナギを捕らん」という1・2句は調子がよい。
絶滅危惧種の日本うなぎをそんなに捕っていいのかなあ。

3. 十月にハワイへ行きて蒸し暑しそこは常夏泳ぐ人あり  ひさお

4. 鮒鮨に夏バテアカンの結び文滋賀版添う包み母から  ひらら
実家の母から嫁ぎ先の作者宛て、鮒ずしが送られてきた。
その鮒ずしには「夏バテアカン」と体調を気遣う結び文がつけられて
いて、新聞の滋賀版も添えられていた。
嫁いだ娘への母の愛情があふれている。

5. 夏来れば担任教師の招き受け真野浜に向かうしじみを捕りに  ひろゆき
「教師」とあるので、小学校ではなく、中学校時代の思い出であろう。担任の
先生は真野浜近辺の人らしい。その先生が、夏になるとしじみ捕りに真野浜
へさそってくれた。その当時は浅いところに多くのしじみがいたようだ。
生徒思いの先生との心温まる関係、楽しいしじみ捕り。忘れられない思い出である。

6. にっぽんがまだ勝っていたあの夏の熱砂の新島あうら(足裏)に残る  フミコ
東京都の新島村のことであろう。昭和16年ごろのまだアメリカが本格的に
参戦するまでのころであろうか。
作者は夏休みに、家族で新島へ旅行された。まだ戦争の陰りのでるまでの
勢いのあるころで、楽しいバカンスであった。浜辺の熱砂の熱かった感触は
今でも足裏にはっきりと残っている。一生の思い出になっているようだ。
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