トップページ > 記事閲覧
10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
投稿日 | : 2020/10/16(Fri) 10:14 |
投稿者 | : フミコ |
参照先 | : |
R.02.10.22
題詠 「ノルマ」
鑑賞&批評 「ダリア」
出題当番 ウプラさん
鑑賞&批評 「ダリア」
1. われ知るはポンポン咲きのダリアらし型色大きさあまりに多品種 ひさお
2. 庭におりられずとこぼす母の指す紅を選り切るポンポンダリヤ ひらら
3. 花びらの一枚一枚集に満ちダリアは色濃く秋の陽に立つ ひろゆき
4. 敗戦の勅聞き外す黒い幕 ダリアは咲いてたじろがず盂蘭盆(ぼん) フミコ
5. 見しことと見ざりしことの境界にとほき山畑のポンポンダリア ウプラ
6. メキシコへ旅せしころは無知だった題詠ダリアに国花と分かる さらら
7. 赤と黒ダリアを好んで植えた母の三角花壇いまは何咲く たかし
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
投稿日 | : 2020/10/27(Tue) 09:50 |
投稿者 | : たかし |
参照先 | : |
7. 赤と黒ダリアを好んで植えた母の三角花壇いまは何咲く たかし
ご批評ありがとうございました。
ひさおさんの評に「黒いダリアは珍しい」とありますが、真っ黒のダリアというのはないと思います。
黒いほどに濃い紅色とか、黒いほどに濃い紫色・・というのを言いたくて黒、というのと、
ダリアの花の印象が、原色のはっきりとしたものなので、それをいいたくて赤と黒という表現にしました。
また「三角花壇」は、形が三角でした。その頃そう呼んでいたかどうか、記憶はあいまいなのですが・・・
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
投稿日 | : 2020/10/23(Fri) 23:42 |
投稿者 | : ウプラ |
参照先 | : |
見しことと見ざりしことの境界にとほき山畑のポンポンダリア ウプラ
皆さん、鑑賞、ご批評ありがとうございました。
今回のお題はダリアでしたが、ひららさんのおっしゃるとおり、目を瞑ると燃えるような「山畑のダリア」が見えてくる。しかし、これは現実にみたものではないのです。それなのに、何故か頭の中でははっきりと見える。何なんでしょう?祖母の家にダリアはたしかにあったのに、その視覚的な記憶はない。
ウーム・・・でもこれは意外と私に限ったことではなく、他のにも経験している人はいるかもしれませんね。
「鶏を呼ぶ嗄声ちひさくとーとーとー遠く暮れゆくポンポンダリア」これは祖母の歌の一つですが下句は嘘です。見てない。
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
投稿日 | : 2020/10/23(Fri) 13:26 |
投稿者 | : ひさお |
参照先 | : |
われ知るはポンポン咲きのダリアらし型色大きさあまりに多品種
批評ありがとうございます。
たかしさん:ダリアを知ろうとすることを放棄したような印象をうける。
ウプラさん :下句は息切れか。
素材が単にダリアのことをよく知らないということにも拘わらず、真剣な批評をいただきありがたく思います。
推敲してみました。
われ知るはポンポンダリアひとつのみ型色大きさ多種あるらしも
3句「ひとつのみ」は「一種のみ」としたかったのですが、5句を「多種」としたため、「ひとつのみ」としました。
鑑賞&批評「ダリア」へのお礼
投稿日 | : 2020/10/23(Fri) 10:22 |
投稿者 | : ひろゆき |
参照先 | : |
3. 花びらの一枚一枚集に満ちダリアは色濃く秋の陽に立つ ひろゆき
鑑賞・ご批評有難うございました。
この歌の難点は「集に満ち」でした。「集」の語義・ひさおさん、写真集から・ウブラさん、密集しまたは密蜜と・たかしさん、集に満つとは・フミコさん、重なり・ひららさん、さららさんは表現通りの鑑賞でした。
近隣にダリアを植えられている家並はありません。ウブラさんが述べておられるようにネット写真も見ました。概ね府立植物園での鑑賞・見学(展の催し)の記憶からです。
「集」を「蜜」にとしてみたのですが、満つと語音が重なりかつ、密に満つとはどういうことか自身の語義解釈に自信がありませんでした。
また、下句は見た・観たとおりの感情・感覚どおりを大事にしたいと。ひさおさんの「集」の語義解釈を含む個々の語義解釈を大事にいと思います。
ありがとうございました。
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
投稿日 | : 2020/10/23(Fri) 09:26 |
投稿者 | : フミコ |
参照先 | : |
今回も丁寧におよみくださり、やさしいご指導ありがとうございました。
自分ではしっかりと見直し、推敲したつもりでも、いただいた批評に改めて納得しています。
読み返して、忘れないようにできないものか...そこが問題のですがどうもいけません。
くり返し学習の機会があること、「たどたど」のおかげです。
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
投稿日 | : 2020/10/22(Thu) 20:54 |
投稿者 | : さらら |
参照先 | : |
1. われ知るはポンポン咲きのダリアらし型色大きさあまりに多品種 ひさお
ダリアはポンポン咲しか知らなかったが 現在は多くの種類があり驚いている。
2. 庭におりられずとこぼす母の指す紅を選り切るポンポンダリヤ ひらら
年老いた母がきれいに咲いた庭のポンポンダリアを あれこれと指差し
屋内から注文する。大好きな花を思いのままに切ることがかなわず愚痴る。
それを優しく聞き入れ紅を選る作者。
3. 花びらの一枚一枚集に満ちダリアは色濃く秋の陽に立つ ひろゆき
何重にも花びらが一枚一枚密に集まり満ち足りたダリアは濃厚に色を染め
秋の陽の中に華やかにスッと立つ。
4. 敗戦の勅聞き外す黒い幕 ダリアは咲いてたじろがず盂蘭盆(ぼん) フミコ
平和の時代も戦時中もダリアは毎年変わらずたじろぐことなく咲き誇る。
戦死者 祖先の御霊に種々の供え物をし冥福を祈る。
5. 見しことと見ざりしことの境界にとほき山畑のポンポンダリア ウプラ
各々見ること見ないこと人により違う その境界線のさかいにはるか遠い山畑にポンポンダリア今を盛りと咲いている。
6. メキシコへ旅せしころは無知だった題詠ダリアに国花と分かる さらら
7. 赤と黒ダリアを好んで植えた母の三角花壇いまは何咲く たかし
赤と黒のダリアばかり植えていた母 その三角花壇には今はなにが咲いているだろう。
花の好きな母上を懐かしく今一度会いたいなあ〜。
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
投稿日 | : 2020/10/22(Thu) 20:17 |
投稿者 | : ウプラ |
参照先 | : |
1. われ知るはポンポン咲きのダリアらし型色大きさあまりに多品種 ひさお
ダリアを検索してみたが、自分の知っているダリアはポンポン咲きと括られる種類らしい。濃厚な花の、あまりの種類の多さに、やや食傷気味になってしまった様子です。下句はやや息切れか。
2. 庭におりられずとこぼす母の指す紅を選り切るポンポンダリヤ ひらら
お母上が庭に降りられないと愚痴を言う。作者に切ってほしいと指さした紅の花を、これか?これか?と選んで切ったその紅のポンポンダリアよ。懐かしさに混じる少量の辛さに惹かれました。
結句がポンポンダリアの体言止めですが、「母」を活かすなら「ポンポンダリアの紅選りて切る」がよいのではないかと思いました。
3. 花びらの一枚一枚集に満ちダリアは色濃く秋の陽に立つ ひろゆき
ダリアのギッシリつまった花びら、それらの一枚一枚がくっきりと写されている(写真)集?のページ。
上句の「集」は言葉の使い方がいい加減な気がする。推敲の余地あり。
下句はダリアの強い存在感が出ていて良いと思いました。
4. 敗戦の勅聞き外す黒い幕 ダリアは咲いてたじろがず盂蘭盆(ぼん) フミコ
過去のことなのか現在のことなのかわからず、それによって鑑賞が変わるので迷いました。
過去なら、「詔を聞きて外せし黒い幕」とか「ダリアは咲いてたじろがざりき」になるのかなぁと思いました。
現在まで継続していることとして読むなら・・・これは「聞き外す」に疑問が残るので深読みになってしまうと思いますが、せっかく書いたので消さずに出します。
敗戦の詔勅の流れるなかを、ダリアはたじろがずに立っている。この時、作者はテレビから流れる玉音放送を聞かなかった。それが流れるときには、いつでも心に「黒い幕」がかかり、そのせいで何十年たっても普通の状態で聞くことができない、ということになる。
その場合、「黒い幕」が何であるのか、読み手は正確に言い当てることはできない。ただ、普通の状態では聞くことを難しくさせる、深いところからの拒否反応として受け取ることはできる。「黒い幕」は、とても一言では言いつくせないものの象徴的な喩である。
非情であるダリアの強さも鮮やかだ。
「盂蘭盆」まで入れるなら二つの歌にした方がいいような気がします。「盂蘭盆」はなくても成立する内容ですが、あれば死者がしっかり存在を得ると思いました。(今のままだと、詰め込んだ感じになってもったいない)
5. 見しことと見ざりしことの境界にとほき山畑のポンポンダリア ウプラ
6. メキシコへ旅せしころは無知だった題詠ダリアに国花と分かる さらら
これは、メキシコの国花がダリアだということを知らなかった。昔、現地へ旅行したときも、その後もずっと知らなかったということですね。
「国花だと知る」かな。
私もさららさんの歌を読むまで知りませんでした。
7. 赤と黒ダリアを好んで植えた母の三角花壇いまは何咲く たかし
好きだった赤と黒のダリアを植えてあった母の三角形の花壇。そこには今何が咲いているのだろう。
過去への眼差しと現在への眼差しが交差して、ちょっと茫漠とした寂しさがあります。昔のダリア花壇の視覚的な強さと、状態がわからない現在の空白の対比も自然な感じ。
「三角花壇」、良いと思いました。
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
投稿日 | : 2020/10/22(Thu) 18:23 |
投稿者 | : たかし |
参照先 | : |
1. われ知るはポンポン咲きのダリアらし型色大きさあまりに多品種 ひさお
ダリアには多くの種類がある。作者が知っているのは調べるとぽんぽん咲きのダリアであるようだと。
「あまりに多品種」で終わる結句は、ダリアを知ろうとすることを放棄したような印象を受ける。
しかしまた、品種のあまりの多さに感動しているとも取れる。
後者での読後感を残した方がいいと思う。そのために上句に更に工夫出来そう。
2. 庭におりられずとこぼす母の指す紅を選り切るポンポンダリヤ ひらら
お母さんが「それを」と指さす紅いポンポンダリアを選んで切った。
お母さんは脚腰がお悪いのだろう。庭に降りられない。
活発に動けない状態のお母さんが選ぶのが、ポンポンという活発な語感のポンポンダリアであるところに、活発に動きたい…という願望が込められているような感じもある。
「紅を選り切る」、この「選り」と「切る」が連続していて、言葉を狭いところに詰め込んだ感じを受ける。
「指す」があるので「選り」は省けそうに思う。
3. 花びらの一枚一枚集に満ちダリアは色濃く秋の陽に立つ ひろゆき
「花びらの一枚一枚」の1、2句、そして4,5句の「ダリアは色濃く秋の陽に立つ」は良いと思ったのだが、3句の「集に満ち」、この「集に」はどう読むのだろう。
「しゅうに」なのか?しかしそんな言い方は普通しない。「つどいに」と読むのも変だ。
この3句はむしろ単純に「密集し」または「密密と」などとしたらどうか。
4. 敗戦の勅聞き外す黒い幕 ダリアは咲いてたじろがず盂蘭盆(ぼん) フミコ
「敗戦の勅」は、昭和天皇の終戦のときの言葉。それを聞いて外す黒い幕。
窓に明かりを外に漏らさないように(空襲の目印にならぬよう)黒い幕を掛けていたのだと思う。
黒い幕を外したら咲いているダリアが見えた。ダリアはたじろぐこともなく咲いていた。
庭の(庭であったと思う)ダリアに目を付けたのはこの歌の良い点だと思う。
ただ、この歌も「…勅聞き外す」のところ、「聞き」と「外す」が、連続していて、言葉が詰め込まれた感じがする。
そして結句の「盂蘭盆」必要でしょうか?「敗戦の勅聞き・・」があるので、この日は特定できる。
この語「盂蘭盆」を外せば、「聞き外す」のところ、ゆったりと出来そうに思った。
5. 見しことと見ざりしことの境界にとほき山畑のポンポンダリア ウプラ
この上句、「見しことと見ざりしことの境界」がどういうものなのか考えた。
「見しこと」は、実際に眼で見たこと、と解釈する。
「見ざりしこと」は、実際には見ていない(体験していない)のだが、人の話を聞いたり、文を読んだりして、見たように思っていることと解釈する。
その境界にあるのが「遠き山畑のポンポンダリア」。
この「とほき」は、距離的な遠さというよりも、時間的な遠さ、遙かな昔の・・という意味合いで受け取れる。
昔、見たように思っている山畑のポンポンダリア、今では曖昧な記憶ではあるが、見たと思いたい作者が居る。
この歌には「ポンポンダリア」が生きていると思った。
6. メキシコへ旅せしころは無知だった題詠ダリアに国花と分かる さらら
ダリアはメキシコの国花なんですね。南米が原産地のようです。
原色の濃い色、形もはっきりとしたダリア。情熱的な南国のメキシコへ旅をしたころは作者若く、知らないことが多かった。もっといろいろなことを知って行きたかった・・という後悔も含んでいる。
メキシコへの旅をもってきたところ、歌に厚みが出た。
結句「国花と分かる」のみでは物足りなさも。
7. 赤と黒ダリアを好んで植えた母の三角花壇いまは何咲く たかし
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」
投稿日 | : 2020/10/22(Thu) 16:41 |
投稿者 | : ひらら |
参照先 | : |
鑑賞&批評 「ダリア」
1. われ知るはポンポン咲きのダリアらし型色大きさあまりに多品種 ひさお
花の事 ダリアの事 あまりご存知ないのかしら。ダリアを調べたら 色型品種が多く 自分の知っていたのはポンポンダリアらしいと気づかれたようである。
2. 庭におりられずとこぼす母の指す紅を選り切るポンポンダリヤ ひらら
3. 花びらの一枚一枚集に満ちダリアは色濃く秋の陽に立つ ひろゆき
ダリアは菊のように花弁が重なり
集まり咲く。そのダリアの花の色は秋の陽に色濃く冴えている。「立つ」でダリアの花の情景がたつ。
4. 敗戦の勅聞き外す黒い幕 ダリアは咲いてたじろがず盂蘭盆(ぼん) フミコ
敗戦のみことのり 盂蘭盆の8月15日。長い間黒い幕を覆い暮らしてきた日々。みことのりを聞き外したら 庭のダリアが先ず少女である作者の眼に入った。鮮やかである。 結句「たじろがず盂蘭盆」の収め方。重い。
5. 見しことと見ざりしことの境界にとほき山畑のポンポンダリア ウプラ
ダリアの花を先ず思い目を瞑りポンポンダリヤにいきついたのかしら?そして4句まで一息に詠まれたのかしらと思いました。
6. メキシコへ旅せしころは無知だった題詠ダリアに国花と分かる さらら
かってメキシコへ旅した日 ダリアがよく咲いていた。題詠ダリアで国花と知った。明るい空のもと カラフルなダリア 花期もながく 美しかったでしょう。
7. 赤と黒ダリアを好んで植えた母の三角花壇いまは何咲く たかし
母上はダリアでも特に赤と黒を好まれたよう。里の母上の三角歌壇は今はどうなっているだろう。何が割いているだろう。母上と望郷の歌。「三角歌壇」が活きている。
余談
日野町に ダリア園があり かねてより訪ねたいとおもい過ごしているが まだ行ったことがない。石楠花の鎌掛の近くらしい。
Re: 10/22 題詠「ノルマ」・ 鑑賞&批評「ダリア」