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2021.03.04  題詠「三月」・ 鑑賞&批評「節分」
投稿日 : 2021/01/29(Fri) 09:16
投稿者 フミコ
参照先
♪ 「たどたど」スケジュール ♪ 

R・03.03.04 (木)   (2月は、恒例、web歌会のため全休)    

題詠    「3 月」          
鑑賞&批評 「節分」                    
出題当番   さららさん   


3/4  鑑賞&批評 「節分」

1. 夫 舅 姑を送りて小さく見ゆこの頃節分の豆まきもせず  さらら

2. 沈丁花咲くころがタケノコのよい季節分けても京都洛西の産  たかし

3. 節分の豆もつともつと食べたしと思ひたること幾つのころか  ひさお

4. 芽のごときわたしの赤ちゃん節分の明けたる朝身籠る真里より  ひらら

5. 節分祭児らが購う品品に世相を見せるわれの観察  ひろゆき

6. 準夜勤務(じゅんや)終え鍵差す戸口節分のイワシは視線をワタシに向けて  フミコ

7. 蟻ころす石の無念を鬼を撲つ豆の痛みを思ひつつ寝る  ウプラ
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Re: 2021.03.04  題詠「三月」・ 鑑賞&批評「節分」
投稿日 : 2021/03/05(Fri) 20:28
投稿者 ウプラ
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皆さん、またまた変な歌へのあたたかいご批評、ありがとうございました。

ところで、来週から参加のつもりでしたが、その後また二つややこしい仕事が増えてしまい、もう1週先の、第3週からの参加になってしまいそうです。力不足で何をするのにも時間ばかりかかります。3週からは大丈夫ですので、申し訳ありませんがお許し下さいませ。
ゴメンね・・・
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 鑑賞&批評「節分」お礼
投稿日 : 2021/03/05(Fri) 15:37
投稿者 ひろゆき
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5. 節分祭児らが購う品品に世相を見せるわれの観察  ひろゆき
 今回の題詠掲示について二度行い、種々皆様にご迷惑を掛けました。お詫び申し上げます。
 わたしの詠み歌について、とくに結句「われの観察」が不要ではとの指摘、「世相を見せる」で言っている。また、名詞止め ”われの 観察„ は感興を削ぐとのご意見もいただきました。世相を「見せる」 は感じるではとのご意見も頂戴しました。
 私は20歳代前半から29歳くらいまでと無職になってからの期間、辞令付や無しのボランティア活動をしてきました。今回の歌はその後半の「少年補導委員」の時のことです。節分の時に複数で2日間、一日2・3回巡回するのです。勿論腕章をつけて。当該区域の小学校は午後からおやすみ。ある年は「刀」またある年は「ピストル」またある年は「水鉄砲」。いずれも摸造品ですが攻撃的な玩具。自分の年齢のこともあるのでしょう。なんとなくの見せるであり、観察になったようです。
 ボランティア活動のなかには、いっぺんに噴き出るような思い出も残しました。前天皇の皇太子時代に訪問のあつた滋賀県「饗庭野」キャンプや白髭神社での虞犯・既犯少年とのキャンプ。もう遠い時代のことです。
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Re: 2021.03.04  題詠「三月」・ 鑑賞&批評「節分」
投稿日 : 2021/03/04(Thu) 22:25
投稿者 たかし
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3/4  鑑賞&批評 「節分」
1. 夫 舅 姑を送りて小さく見ゆこの頃節分の豆まきもせず  さらら
 この「小さく見ゆ」が何が小さく見えるのか、考えた。
 夫や舅、姑さんが居た(存命されていた)頃には節分のような行事、習わしをすることは、一家としてとても大事なことであり、嫁であった作者には、それらの行事はとても大きいものとして感じられていた。
 しかし、夫が亡くなり、舅や姑を送って(弔って)からは、そうした行事はそれほどには大事なことに思えなくなっている。
 そのことを「小さく見ゆ」と表現したのだと思う。
 節分の豆まきという行事から、作者の来し方が見え、現在が見える歌。成功作と思う。

2. 沈丁花咲くころがタケノコのよい季節分けても京都洛西の産  たかし

3. 節分の豆もつともつと食べたしと思ひたること幾つのころか  ひさお
 節分の豆は自分の年齢の数だけ食べるので、こういう思いを持った時期があった。
 もっと食べたいと思ったりしたのは、おそらく十二、三歳くらいまでではないかと思う。
 私も子供の頃、豆まきをした記憶があるが、年の数を越えて食べていたように思う。
 こういう思い出があるのは幸せなことだと思う。

4. 芽のごときわたしの赤ちゃん節分の明けたる朝身籠る真里より  ひらら
 作者の娘さんは「真理さん」である。
 娘さんが身ごもったことを作者に告げた。その時の言葉が、
 「芽のごときわたしの赤ちゃん」であったのだ。
 打ち明けられたその言葉を、直接、声で聴いたのか、
 それとも、デジタル社会の今であれば、メールで届いたのか、
 結句の「真理より」という語句から思うと、メールであったように思える。
 いかにもデジタル社会の歌である。

5. 節分祭児らが購う品品に世相を見せるわれの観察  ひろゆき
 節分祭は作者の住む近くの、吉田神社が有名、この「児らが購う品品」というのは、どういうことなのかと考えた。
 これは私の推測ですが、節分祭の行われる神社の境内に出ている夜店などで、子供らが自分の小遣いで買っている品物を見て、そこから世相を感じる・・・ということかと思いました。
 ただ、「世相を見せる」の「見せる」は、おかしいように思う。
 「世相を感じる」というのが意味的に合うのではないか。
 私のこの歌の受け取り方が、正しいかどうかわからないが、正しいのであれば、面白い視点のある歌だと思った。

6. 準夜勤務(じゅんや)終え鍵差す戸口節分のイワシは視線をワタシに向けて  フミコ
 準夜勤務というのがあるのですね。これは「夜勤」というのを考えると、
 その前に「準」が付くので、夜勤に準ずる勤務という意味かと思う。
 だから勤務の終わりはまだ夜が明けていないのではないか、夜中の1時とか2時ころに勤務が終わるのかと思う。
 準夜勤務を終えた作者が、未明に帰宅して鍵の掛かっている玄関 ドアを開けようとして鍵を差し込もうとしたとき、節分のイワシが戸口に魔除けとして挿してあり、そのイワシの眼に見詰められたと感じた。
 「準夜勤務(じゅんや)」という看護師さん特有(だと思う)の勤務があって成り立った歌。個性的で新鮮。

7. 蟻ころす石の無念を鬼を撲つ豆の痛みを思ひつつ寝る  ウプラ
 蟻は石で潰されて死ぬ。鬼は鬼やらいの豆で追われる。
 石を振るうのは人間で、豆を投げるのも人間、その石の気持、豆の気持は思うこともなく。
 作者は石の気持(無念さ)、豆の気持(痛み)を思いながら寝たという。
 節分の夜のことである。童話が生まれそうなお話。
 普通の人間は思いつかないところを思いつく作者のうた。
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Re: 2021.03.04  題詠「三月」・ 鑑賞&批評「節分」
投稿日 : 2021/03/04(Thu) 18:23
投稿者 フミコ
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 鑑賞&批評 「節分」

1. 夫 舅 姑を送りて小さく見ゆこの頃節分の豆まきもせず  さらら
「小さく見ゆ」というのはご自身のことでしょうか。
家族が賑やかだった頃の感慨にふけっておられる歌と読みました。
豆まきを楽しみに賑わった頃は遠くなり、季節の区切りの度に淋しさが
甦る。世間的にも豆まきの習慣が少なくなってきているのではないでしょうか。

2. 沈丁花咲くころがタケノコのよい季節分けても京都洛西の産  たかし
作者はタケノコがお好きというばかりでなく、くわしい食通と読みました。
沈丁花が咲く頃が旬、3.4月を楽しみにしておられる。
開発の重機が入って竹藪は年々減っているとはいうものの、雑な竹藪がそここにあり、ブランドとは対極にありそうな筍がわんさと出回る高島ではなかなか
他所の銘品筍を味わう機会がない。
沈丁花咲く頃というの、なにか特別感とロマンを感じます。

3. 節分の豆もつともつと食べたしと思ひたること幾つのころか  ひさお
作者が節分の豆を「もっともっと食べたい」と思われた頃は、稲作地帯でも用途様々で、自宅用食料は決して豊富とは言えない終戦直後の頃かと想像します。
幼少期の思い出の大きい部分を占める食料事情は同時代を生きた誰彼に共感を呼び起こし、オーバーラップする、個人史にも必ずと言っていいほど登場するテーマのひとつ。

4. 芽のごときわたしの赤ちゃん節分の明けたる朝身籠る真里より  ひらら
「芽のごとき」この表現、とても新鮮に感じました。
上の句全体に新米ママのスタート・ラインに立った真里さんの溢れる喜びを感じます。
それも、節分の翌朝とはいかにも新しい生活の予感。
昨日までとは違う生活が若夫婦にもその親夫婦にももたらされる。
こんな風に祝福されるベビーもパパ・ママもグランマも地上一しあわせ。

5. 節分祭児らが購う品品に世相を見せるわれの観察  ひろゆき
何処かの大きな節分祭の縁日風景でしょうか。
そこに群がって、お小遣いと相談しながらあれこれと品定めしている子供達&親たち。
並んでいる商品にも世相や時代の反映があって、作者は興味深く観察している。
子ども達が興味を示している物にも作者の記憶からは随分と様変わりしていることでしょう。
結句の「われの観察」…歌全体が作者の観察であると思うので、わざわざ言わなくてもいいのでは。

6. 準夜勤務(じゅんや)終え鍵差す戸口節分のイワシは視線をワタシに向けて  フミコ

7. 蟻ころす石の無念を鬼を撲つ豆の痛みを思ひつつ寝る  ウプラ
意図しない何かの作用で蟻をつぶしてしまった「石」と、本人の意思とは無関係に鬼を打つ礫にされた「豆」の立場を思いやっての作品でしょうか。
石の下敷きになっている蟻を目にした人間の、豆を投げて家内安全、厄払いを祈る人間の立場などで詠まれた歌は目にするが、その対象に心を寄せた歌は珍しい、着眼点が作者ならでは。面白いです。
(語句ではなく、エッセンスを【題詠】に読み込んだ点でもユニーク)
【木曜、夜7:00から、地デジ4で観ているプレバト俳句では、「お題」から発想を飛ばすという発想力の展開も面白さの一つだと思っています。】
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Re: 2021.03.04  題詠「三月」・ 鑑賞&批評「節分」
投稿日 : 2021/03/04(Thu) 18:11
投稿者 たかし
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寺町の三月書房は閉じたるも六角町に泥書房がひらく  たかし
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Re: 2021.03.04  題詠「三月」・ 鑑賞&批評「節分」
投稿日 : 2021/03/04(Thu) 14:21
投稿者 ひらら
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7. 蟻ころす石の無念を鬼を撲つ豆の痛みを思ひつつ寝る  ウプラ
 石に豆に それぞれの無念 痛みを思う作者。この夜は 作者も いろいろの思うことがあり寝付けないのかも。
題詠 「鍵」のお題を 「キイー」と詠み ほろ苦い経験ありのひららです。
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Re: 2021.03.04  題詠「三月」・ 鑑賞&批評「節分」
投稿日 : 2021/03/04(Thu) 14:08
投稿者 ひらら
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1. 夫 舅 姑を送りて小さく見ゆこの頃節分の豆まきもせず  さらら
 夫舅姑を見送り 子らも巣立ち 役目を果たした今豆まきもしなくなったなぁ。世帯盛りの若い頃よりわたしもちいさくなったことよと 偲んでいる。「豆まきもせず
」は いまが安泰であるとのよろこびもある。

2. 沈丁花咲くころがタケノコのよい季節分けても京都洛西の産  たかし
 57577をどこで読めばと戸惑った。「沈丁花咲く」「ころがタケノコの」「よい季節」「分けても京都」「洛西の産」とよみ落ち着いた。初歩的なことではずかしい。


3. 節分の豆もつともつと食べたしと思ひたること幾つのころか  ひさお
 幼い頃 年長者の 節分の豆の数 うらやましかった。戦後食物の乏しい頃尚更であったことだろう。「もっともっと」に 気持ちと 時代がこもる。
4. 芽のごときわたしの赤ちゃん節分の明けたる朝身籠る真里より  ひらら

5. 節分祭児らが購う品品に世相を見せるわれの観察  ひろゆき
 節分祭は 吉田神社の節分の夜店でしょうか?
時代により子供たちの買うものにも世相をみる。結句「われの観察」は 見せる で 観察し感じているので省き 品々の具体をよむといいと思う。

  

6. 準夜勤務(じゅんや)終え鍵差す戸口節分のイワシは視線をワタシに向けて  フミコ
 準夜勤務を終え深夜の帰宅。イワシの目とあうわれの目線。一瞬 焦点が合った。うまく捉え詠まれている。「イワシ」「ワタシ」の音韻 表記 心憎い。「向けて」は
向けるが決まるように思う。
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Re: 2021.03.04  題詠「三月」・ 鑑賞&批評「節分」
投稿日 : 2021/03/04(Thu) 13:26
投稿者 フミコ
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「お月さんのこぼす雫をみたいの」と園児は再三月を見上げる  フミコ
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Re: 2021.03.04  題詠「三月」・ 鑑賞&批評「節分」
投稿日 : 2021/03/04(Thu) 12:30
投稿者 さらら
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三月の陽ざしの中に女四代母さん役の琴葉のままごと
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先行の鑑賞・評の差し替えをお願いします。
投稿日 : 2021/03/04(Thu) 12:30
投稿者 ひろゆき
参照先
1. 夫 舅 姑を送りて小さく見ゆこの頃節分の豆まきもせず  さらら
小さく見ゆは節分祭のことか。鬼は外福は内の「福」を受ける対象者がもう影形もなく外に出てしまって、福は内と声上げる豆まきの効・幸・功が見られない、見えない。だから豆まきの意義・価値がないからと。

2. 沈丁花咲くころがタケノコのよい季節分けても京都洛西の産  たかし
作者が詠われる洛西の竹藪の土壌がいいのでしようか。確かにおいしい。その季を沈丁花の花咲くころと明示し、生産地を京都洛西と場所への関心を読者に呼びこむ。京都市が開いたニュータウンも頭に「洛西」が付く。

3. 節分の豆もつともつと食べたしと思ひたること幾つのころか  ひさお
作者は結句で、食べたい欲望の期を幾つのころかと詠っておられる。まずは自分の年齢数であったのであろう。その満たなかった欲望と現在の大豆の豊富さを思いながら、幼少期の食糧事情と十分な煎り豆の味わいをできなかった無念?を回顧しておられる。

4. 芽のごときわたしの赤ちゃん節分の明けたる朝身籠る真里より  ひらら
真理よりは娘さん、その知らせ。妊娠初期あるいは医師の診察を受けての懐妊の知らせ。節分というわざわいをはらつてのめでたい知らせ。初句がいい。

5. 節分祭児らが購う品品に世相を見せるわれの観察  ひろゆき

6夜勤務(じゅんや)終え鍵差す戸口節分のイワシは視線をワタシに向けて  フミコ
う~ん。作者の人の生命に係わるお仕事・職務柄、すべき行事?にかかわって、 禍を払うという儀式の形の主役を担うイワシの頭がご苦労様と作者に無言の礼を。初句準夜勤がよく効いている。

7. 蟻ころす石の無念を鬼を撲つ豆の痛みを思ひつつ寝る  ウプラ
5757調の歌。蟻殺す石の無念・鬼を撲つ豆の痛み。本性そういう役割を持つていないものの結果的な現象あるいは行動への思いに馳せつつ眠ると。人間の行動にも止むを得ずという言葉があるように。
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Re: 2021.03.04  題詠「三月」・ 鑑賞&批評「節分」
投稿日 : 2021/03/04(Thu) 12:19
投稿者 ひらら
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題詠 詠草

 春をよぶ三月を待つ若狭びと(人)鵜の瀬の淵のお水送りを  ひらら

「鵜の瀬」
 お水取りの奈良二月堂へご香水の送水神事を行なう小浜市遠敷川(おにゅがわ)中流の地
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Re: 2021.03.04  題詠「三月」・ 鑑賞&批評「節分」
投稿日 : 2021/03/04(Thu) 12:19
投稿者 さらら
参照先
1. 夫 舅 姑を送りて小さく見ゆこの頃節分の豆まきもせず  さらら

2. 沈丁花咲くころがタケノコのよい季節分けても京都洛西の産  たかし
咲くころがタケノコの2句が10文字 がはいるだろうか?京都洛西の産が最上と知る。

3. 節分の豆もつともつと食べたしと思ひたること幾つのころか  ひさお
もっともっとのリフレインが 戦後の食べ物不足と貧しい時期の空腹を読む人に導く。

4. 芽のごときわたしの赤ちゃん節分の明けたる朝身籠る真里より  ひらら
最後まで読みよくわかる 作者に赤ちゃんが❓と早とちりしている私がいた。

5. 節分祭児らが購う品品に世相を見せるわれの観察  ひろゆき
歌う視点がオリジナル 60〜70年前の児童との変わりように驚く。短歌は驚き喜び
心意気を読むと先輩に教わったことを思い出す。

6. 準夜勤務(じゅんや)終え鍵差す戸口節分のイワシは視線をワタシに向けて  フミコ
夜中に勤めを終え帰ると玄関には節分のイワシが頭上から見張っている。勤務の留守中に家族が例年に習い節分の行事をしてくれている。

7. 蟻ころす石の無念を鬼を撲つ豆の痛みを思ひつつ寝る  ウプラ
小さな蟻にも 鬼を宿す人間にも同じ命あり共存している。鬼を退散させるべくまく豆の痛みも作者は思って眠る。寄り添い心を通わせ包み込む行為がいいな〜。
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  題詠「三月」
投稿日 : 2021/03/04(Thu) 11:14
投稿者 ひろゆき
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三月は生き来し月日の句読点入学・卒業社会への出立
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Re: 2021.03.04  題詠「三月」・ 鑑賞&批評「節分」
投稿日 : 2021/03/04(Thu) 11:06
投稿者 ひろゆき
参照先
1. 夫 舅 姑を送りて小さく見ゆこの頃節分の豆まきもせず  さらら
小さく見ゆは節分祭のことか。鬼は外福は内の「福」を受ける対象者がもう影形もなく外に出てしまって、福は内と声上げる豆まきの効・幸・功が見られない、見えない。だから豆まきの意義・価値がないからと。

2. 沈丁花咲くころがタケノコのよい季節分けても京都洛西の産  たかし
筍の朝掘りという商品も見る。作者が詠われる洛西の竹藪の土壌がいいのでしよう。毎年、その地に住む人(竹藪を持つている人ではない)からいただく。筍の刺身としてもその柔らかさと味わいは格別である。その人からもだんだん生産・産出量が少なくなっていると。(親からの伝言→良い筍を産出するためにはまずは選定、削芽。そして肥料の散布必要)

3. 節分の豆もつともつと食べたしと思ひたること幾つのころか  ひさお
作者は結句で幾つのころかと詠っておられるが、小学校入学前後の敗戦後のころだろうと推測。節分の豆と特定されていますが、米穀の不足もあって豆・甘藷等入りの米食に貴重な食品だったと思います。節分に煎り豆を食べられたのは幸せ。

4. 芽のごときわたしの赤ちゃん節分の明けたる朝身籠る真里より  ひらら
真理よりは娘さん、その知らせ。妊娠初期あるいは医師の診察を受けての懐妊の知らせ。節分というわざわいをはらつてのめでたい知らせ。初句がいい。
5. 節分祭児らが購う品品に世相を見せるわれの観察  ひろゆき

6. 準夜勤務(じゅんや)終え鍵差す戸口節分のイワシは視線をワタシに向けて  フミコ
う~ん。作者の人の生命に係わるお仕事・職務柄、すべき行事?にかかわって、 禍を払うという儀式の形の主役を担うイワシの頭がご苦労様と作者に無言の礼を。初句準夜勤がよく効いている。

7. 蟻ころす石の無念を鬼を撲つ豆の痛みを思ひつつ寝る  ウプラ
5757調の歌。蟻殺す石の無念・鬼を撲つ豆の痛み。本性そういう役割を持つていないものの結果的な現象あるいは行動への思いに馳せつつ眠ると。人間の行動にも止むを得ずという言葉があるように。
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Re: 2021.03.04  題詠「三月」・ 鑑賞&批評「節分」
投稿日 : 2021/03/04(Thu) 11:01
投稿者 さらら
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次回のお題 薔薇
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