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2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
投稿日 | : 2021/04/16(Fri) 01:01 |
投稿者 | : ウプラ |
参照先 | : |
2021.04.22(木)
題詠 「部分」
鑑賞&批評 「窓」
出題当番 ひさおさん
鑑賞&批評 「窓」
1. 窓の外古きビル見ゆ今日もまた高くなったと妻よく言ひし ひさお
2. 中庭の窓辺に来ていた愛犬亡く三年経て琴葉のわ れを呼ぶ声 さらら
3. ミャンマーの事態ネットの窓々に見えて助けの手はまだ見えず たかし
4. すがりつき病窓(まど)より見る夏伊吹ギブスのはずれ半年ぶりに ひらら
5. ねえ何を食べてきたのと蟹に問ふ夕べ藻影のごとき窓辺に ウプラ
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
投稿日 | : 2021/04/26(Mon) 20:25 |
投稿者 | : ウプラ |
参照先 | : |
「窓の外古きビル見ゆ今日もまた高くなったと妻よく言ひし ひさお
今回の私の意図は、古くなってしまったビルには何の変化もないのに、また高くなったと繰り返し言うようになった妻のことを回想するということでした。普通に読めばそのように理解できるような表現が求められるのではないか。そのことを反省しています。」
ひさおさんの真摯なコメントを読んでもう一度考えてみました。
私が誤解したのは、二句が「見ゆ」と現在形で切れていて、ここが現在の作者の視線になっているためだと思います。
一つの例として、「見ゆ」を「指し」に変え、妻の動作にすると(「窓外の古きビルを指し」など)三句以下の妻の言葉と繋がるので、誤解はなかったような気がします。
連作なら順序を変えて「今日もまた高くなったと高くなる筈なき古きビルを指さす」とかあるなぁ、などいろいろ考えてしまいました。一首で終わらせるのが勿体ないような内容のある作品。
ひさおさんは事柄派、内容をきちんと伝えたい歌なので勉強になります。
人の歌より自分の歌に内容をつけろって?
ごもっとも。
ひさおさん、ありがとうございました〜。
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
投稿日 | : 2021/04/24(Sat) 13:01 |
投稿者 | : ひさお |
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窓の外古きビル見ゆ今日もまた高くなったと妻よく言ひし
ひさおさんのこの歌を私は
「窓の外古きビル見ゆ」で切れて、これは現在の窓から見える景色、古いビルと読みました。三句以下は回想で、高くなっていく(そういう工法の)建築中のビルのことを奥さまが(会社から帰った)作者によく報告したのかと思いました。その時点でビルは古くない。あの古いビルが出来上がっていく様子を妻はよく言っていたっけなぁ、と回想している。
これは作者の意図とは違う読みですが、それではこの読みが違っているかといえばそうでもないと思います。だって無理なくそういう風に読める。
何を言いたいかというと、
別に自分の解釈の正しさを主張したいわけではなく、作者の事情と読みは必ずしも一致しない、しなくていいのではないか、ということです。
書かれていることを大切に読むことは大切ですが、歌は必ずしも作者のものではない。読者のものでもありうるということを以前から書きたかったのであります。
ウプラさんの意見は正解です。
問題は私の短歌を作る技量の問題です。今は古くなったが、昔の建築中のビルのことと読者は理解するであろうと、私も予想はしていました。建築中のビルを毎日見て、その変化を話題にしていたという回想も当然いい素材だと思います。
今回の私の意図は、古くなってしまったビルには何の変化もないのに、また高くなったと繰り返し言うようになった妻のことを回想するということでした。普通に読めばそのように理解できるような表現が求められるのではないか。そのことを反省しています。
ウプラさんありがとうございました。
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
投稿日 | : 2021/04/23(Fri) 21:28 |
投稿者 | : ウプラ |
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こんばんは
窓の外古きビル見ゆ今日もまた高くなったと妻よく言ひし
ひさおさんのこの歌を私は
「窓の外古きビル見ゆ」で切れて、これは現在の窓から見える景色、古いビルと読みました。三句以下は回想で、高くなっていく(そういう工法の)建築中のビルのことを奥さまが(会社から帰った)作者によく報告したのかと思いました。その時点でビルは古くない。あの古いビルが出来上がっていく様子を妻はよく言っていたっけなぁ、と回想している。
これは作者の意図とは違う読みですが、それではこの読みが違っているかといえばそうでもないと思います。だって無理なくそういう風に読める。
何を言いたいかというと、
別に自分の解釈の正しさを主張したいわけではなく、作者の事情と読みは必ずしも一致しない、しなくていいのではないか、ということです。
書かれていることを大切に読むことは大切ですが、歌は必ずしも作者のものではない。読者のものでもありうるということを以前から書きたかったのであります。
今回の私の歌
ねえ何を食べてきたのと蟹に問ふ夕べ藻影のごとき窓辺に
蟹の身は美味だけど蟹の食べるものはけっこうグロテスク。動物の死肉も食べるし共食いもする。(そんな蟹の習性を知らないと少しわかりにくい歌でしたね)「藻影のごとき堅き甲羅に」にしようと思っていましたが「藻影のごとき窓」の方が窓が海みたいで不思議な広がりが出るので、こちらでいきたいと思います。
〇夜の海の不意にあふれる双眸の蟹の売られるサンストリート
〇ねえ何を食べてきたのと蟹に問ふ夕べ藻影のごとき窓辺に
という2首で、この蟹は食べられてしまう蟹でした。
作者としては藻影のごとき窓が読者のなかで海や蟹と結びついてくれれば嬉しいのでした。皆さん、ありがとうございました。
それにしても、たかしさん、このところ冴えてますね。
なになに?
実力?
頼もしいです。好日の歌も好かった。
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
投稿日 | : 2021/04/23(Fri) 11:03 |
投稿者 | : ひさお |
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1. 窓の外古きビル見ゆ今日もまた高くなったと妻よく言ひし
今の地に家を建てる前からそのビルはありました。リビングの妻の席から正面のやや遠いところによく見えます。日本のバブルがはじけてからは、そのビルは利用されなくなってしまいました(化学肥料を作る会社の独身寮であった)。
妻が病んで、食事中によく、あのビルがまた高くなったよと言いました。
ややこしい作品ですが「古きビル」でなんとか読者に通じるのではないかと思いました。ちょっと無理か。たかしさんの読み通りです。
コメントをいただきありがとうございます。
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
投稿日 | : 2021/04/22(Thu) 22:19 |
投稿者 | : たかし |
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鑑賞&批評 「窓」
1. 窓の外古きビル見ゆ今日もまた高くなったと妻よく言ひし ひさお
ビルは建築中ではない、なぜなら「古きビル」だから・・・。
そうすると「また高くなった」は、見る人の錯覚である。
作者は長く奥様を看病されていた。奥様は窓の視界がビルによって遮られるのを嫌っておられたのかも知れない。
その奥様も今は鬼籍に入られた。作者はそのビルが窓から見えると、奥様とのやりとりをなつかしく思い出すのだ。
2. 中庭の窓辺に来ていた愛犬亡く三年経て琴葉のわれを呼ぶ声 さらら
愛犬が亡くなって三年、今は孫の琴葉ちゃんが同じ窓辺に来て作者を呼んでいる。
犬と孫とを一緒にしては叱られるが、作者からすれば、どちらも同じように可愛いのである。
3. ミャンマーの事態ネットの窓々に見えて助けの手はまだ見えず たかし
4. すがりつき病窓(まど)より見る夏伊吹ギブスのはずれ半年ぶりに ひらら
夏伊吹、と、第三句までをひと息に読む歌だと思う。
そうすると、病窓に「まど」とルビを振って読ませているが、
律的には「びょうそうより見る夏伊吹」の方がリズムが良い。
しかし、問題がある。病巣という言葉はあっても病窓という言葉はないのではないか。
・・もちろん作者としては病院の窓、または病室の窓、のつもりであろうが、
一考したい。
5. ねえ何を食べてきたのと蟹に問ふ夕べ藻影のごとき窓辺に ウプラ
この蟹は生きている蟹なのか?それとも料理されて皿の上に乗っている蟹なのか、どちらなのかと思った。
作者は窓辺に居る。窓辺に居て蟹に「何を食べて来たの」と問い掛けている。
蟹をペットのように窓辺で飼っておく・ということは非常に稀に思う。
調理されて、これから食べようとしている蟹に向かって作者が問い掛けていると考える方が確率的には有りそうだ。
夢のない読み方をしています。もっとロマンチックに読んで欲しい作者であろうと思いつつ。
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
投稿日 | : 2021/04/22(Thu) 22:14 |
投稿者 | : ウプラ |
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1. 窓の外古きビル見ゆ今日もまた高くなったと妻よく言ひし ひさお
このビルを建設中、毎日その様子を見ていた妻が言った言葉。「古きビル」の纏っている「時間」は建物に流れた時間でありながら、そのまま作者と妻との間に流れた時間に重なる。しみじみ深さを感じるところだ。
「言ひし」と「言ひき」、個人的には「言ひき」を選びますが、ニュアンスが変わるだけで、これはどちらでもOKですね。
2. 中庭の窓辺に来ていた愛犬亡く三年経て琴葉のわ れを呼ぶ声 さらら
身のめぐりに亡くなるものあれば、生まれ育つものもある。愛をもってそれらを詠うこと、いいなぁと思う。
四句が2字の字余りなので上はリズムを良くしたい。「三年経て」から始めることも考えられる。
3. ミャンマーの事態ネットの窓々に見えて助けの手はまだ見えず たかし
ミャンマーのニュースが流れるたびに胸クソの悪くなるような思いだが、こういうことにきちんと対処できる国際機関の最終的なまとまりの道筋が未だ定まらない。早く何とかして欲しい。
「ネットの窓々に見えて」も「助けの手はまだ見えず」も良いと思った。二つの歌にしてはどうだろうか。
「・・・ネットの窓々に見えて軍人が少年を撃つ」とか。何年かしても何があったかわかる。
4. すがりつき病窓(まど)より見る夏伊吹ギブスのはずれ半年ぶりに ひらら
足のギブスがとれて窓から見た夏の伊吹山、回復の喜びが伝わり爽やかだ。
実際「すがりつき」だったとは思うが、夏の伊吹山とギブスの外れたことだけにしたほうが歌の的が絞れると思う。
例えば「病窓に青々と夏の伊吹山ギブスのはずれ半年ぶりに」など、いろいろ考えられる。
「すがりつき」の歌も面白くなりそうなので作ってください。
5. ねえ何を食べてきたのと蟹に問ふ夕べ藻影のごとき窓辺に ウプラ
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
投稿日 | : 2021/04/22(Thu) 22:05 |
投稿者 | : ひらら |
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鑑賞&批評 「窓」
1. 窓の外古きビル見ゆ今日もまた高くなったと妻よく言ひし ひさお
いつも 奥様の在りし日の一挙一動をうかべ偲んでられる日々。きょうも窓の外のビルをみて奥様の言葉を思い出されている。奥様の声 頷いてられる作者のすがたか浮かぶ。
2、中庭の窓辺に来ていた愛犬亡く三年経て琴葉のわ れを呼ぶ声 さらら
伴侶のごとく過ごされていた愛犬、あれからもう3年経つのですか?今は琴葉ちゃんが可愛い声でかけてくれる。この上なく幸せな歌。
3. ミャンマーの事態ネットの窓々に見えて助けの手はまだ見えず たかし
世界の誰もが助けようのないミャンマーの乱。毎日種々のニュースを関心を持たれている様子が「ネットの窓窓」の言葉でよくわかる。今日的な表現。
4. すがりつき病窓(まど)より見る夏伊吹ギブスのはずれ半年ぶりに ひらら
5. ねえ何を食べてきたのと蟹に問ふ夕べ藻影のごとき窓辺に ウプラ
か
飼っている蟹に 何を食べてきたの?と問いかけている。海の蟹?淡水のかに? 藻影のような窓辺 時は夕べ。窓辺に在る水槽越しに ゆらゆらと世界がひろがつてゆく。
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
投稿日 | : 2021/04/22(Thu) 21:33 |
投稿者 | : さらら |
参照先 | : |
1. 窓の外古きビル見ゆ今日もまた高くなったと妻よく言ひし ひさお
窓から見える古いビルの中に 新しく高いビルが建つ 日々変容する景色に注目される今は亡き奥様の言われたことを思い出される切ない歌。
2. 中庭の窓辺に来ていた愛犬亡く三年経て琴葉のわ れを呼ぶ声 さらら
3. ミャンマーの事態ネットの窓々に見えて助けの手はまだ見えず たかし
テレビの画像にミヤンマーの世相を見るにつけ穏やかな日々はいつになるのだろうか
4. すがりつき病窓(まど)より見る夏伊吹ギブスのはずれ半年ぶりに ひらら
病窓にすがり付き見る夏伊吹半年ぶりにギブスのはずれ
5. ねえ何を食べてきたのと蟹に問ふ夕べ藻影のごとき窓辺に ウプラ
蟹はとても美味しい 何を餌に食べてきたのと問いかける 薄暗い海中の藻の影のような窓辺に蟹との対話がオリジナルな歌い方。
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」
Re: 2021.04.22(木)題詠「部分」 鑑賞&批評「窓」