特選(7首) |
(評)「音色の横に座る輝き」の「座る」は読者を考えさせる。吹奏楽では管楽器が主で、その中でもトランペットやホルンなどは金色に輝いている。だから楽器の輝きを先ず思うのだが「座る」を考えるとそれだけではない感じがする。音を合わせて皆で演奏することへの作者の喜び、それが「座る輝き」には入っているように思える。個性が光る一首。 |
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(評)分からない、分からないと言いながら、短歌の五、七、五、七、七のリズムに気持ちよくのっている。まさに歌っている。そして五句共に「分からない」意味を言いながら、言いまわしを変えて同じ言葉が重ならない工夫をしている。作者は短歌がよく分かっている。 |
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(評)お守りは神社などで買うが、自分のためというよりも自分が大事に思っている人のために買うことが多い。作者が中学生であることを思うと、受験の合格祈願などのお守りかも知れない。ドキドキしながら渡したが「ありがとう」と受け取ってくれた。「胸キュン」など、中学生の今でしか歌えない気持ちと言葉がある。 |
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(評)きりっと凛々しい少年剣士の姿が目に浮かぶ。道場の板の間に正座をし、頭のうしろで面のひもを結ぶ。気持ちを込めて強く結ぶ。立ち合いの一瞬の一撃に向かって既に精神は集中している。無駄な言葉は一切なく、試合前の緊迫感がよく出ている。 |
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(評)作者は今までの何回ものテストの経験から「自信がない」と言っていたやつ(親しい同級生)が、自分よりも良い点数を取っていたことを後で知ってショックを受けたことがあるのではないか。「自信ないよ」などと言って油断させておいて後でショックを与える…そんなやつは裏切り(約束・信義・期待にそむく)者なのである。「だいたい」「ほとんど」と、曖昧な意味の言葉を二つ続けるなど言葉の使い方も魅力 |
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(評)この歌を読んでダンゴムシが見たくなり、外に出て植木鉢をずらしてみたら十匹以上居た。日本全体、世界全体ではものすごい数だろう。突っつくと丸まる「つくつくまるまる」。丸まって転がる「まるまるころころ」。爪も牙も持たず丸まって危難の去るのを待つ臆病者。こんなダンゴムシを作者は「ぼくのともだち」とオノマトペを駆使して親しみを込めて紹介している。ひらかな表記もよく合っている。 |
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(評)結句が「あの一球を」とか「あのアタックを」でなく「あの白星を」なので、人の判定があって勝敗が決定する競技かと思った。合唱コンクールなども考えられる。結果発表を待ってシーンと静まる会場に審判員(審査員)の判定が出る。その瞬間わーっと湧き上る歓声、飛び上がる友達、泣く仲間。競技名は省かれているが、勝利の瞬間の感動・喜びに焦点が絞られていてインパクトがある。 |
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入選(23首) |
(評)鬼とか地獄という強い言葉が使われているが、それだけ逃げずに真正面からテストに向き合おうとしている作者が感じられる。 |
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(評)「地上彩る」の語が歌の視界を大きく広げて「雨降り」の日の歌の印象を明るくしている。梅雨の日の美しい一場面の取り上げがよい。 |
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(評)焦ったときの気持がよく出ている。ただ、コンタクトを入れることに時間が掛かっても、遅刻をしない良い方法がひとつこの歌には隠されている。 |
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(評)思いのこもったサーブがうなりを上げて敵陣に突き刺さる。ゲーム開始だ。「その一球こめる思いはいつも大きい」に気力がみなぎっている。 |
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(評)「お揃いのヘアゴム」の語がよく効いている。激しい動きで揺れる髪が見える。心を一つにまとめるのにも役立ったと思える。 |
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(評)「台」で卓球ということがすぐわかる。「ラケットを握り直して」の語が良く、ゲーム中の緊張感と集中力が伝わってくる。 |
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(評)田んぼの上を渡ってきた風の爽やかさ。部活で疲れて熱くなった身体には格別で、一日の充実した思いがよく出ている。 |
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(評)勝って喝采を浴びる者、どうしても光はそこにばかり当たるけれども、その裏には負けた者もいるよと視線を向けている。偏らない公平な視線。 |
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(評)コンクールの結果発表を待つとき、頭からは雑念が消えて、まっすぐで純粋な想いだけがある。「祈る手」が入ったことで、ひたむきさがよく出ている。 |
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(評)合唱コンクール、取り組む全員の努力が掛かっている。下句「努力報われ最優秀賞」には、全員の努力と願いが叶った満足感がこもっているようだ。 |
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(評)「風切るごとく」素晴しいスマッシュが決まったときの爽快感。そのようなスマッシュをいつでも決めるスーパーな自分でいたい。 |
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(評)「黒色眼鏡に頬りんご色」初めて眼鏡屋さんの店内に入り、鏡の前に立って「似合うかな?」と恥ずかしがりながら思案している作者が浮かぶ。 |
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(評)「ちょっとしたことで笑えるママ」明るいお母さんが大好きな作者。友人のような母との時間は、かけがえのない時間だということがよく伝わってくる。 |
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(評)「勝ちに行く」相当に自信があるようだ。しかし「あげたボールがつながるように」と、なお慎重な姿勢も崩さない。勝っても負けても、素晴らしい試合であったと感じられる。 |
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(評)青空のキャンバスにはどんな大きな絵も長い物語も描ける。読者をもその世界に引き込んでしまう。青い空と地に続く足跡でスケール大きく描かれた。 |
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(評)木の葉が一斉に芽吹く五月の山、風が吹くと萌葱色の若葉の木々がいっせいに揺れる。それを生きて踊っているようだと感性豊かに捉えた。 |
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(評)春いっせいに咲く桜。春の主役だ。桜の木自身も「満足気」と作者は見ている。ところが夏になると、木々はみな同じ緑の葉となって見分けがつかなくなり、桜は「未知な謎の木」になってしまう。見方、捉え方がユニーク。 |
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(評)「かばた」は「川端」が変化したという。比良山の澄んだ湧き水、それを守ってきた地域の人たち。貴重な水の文化として現在も脈々と続いている。そんな「かばた」を誇らしく歌う。 |
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(評)サッカーが好きになった理由がまっすぐに語られている。「ワクワクしてさ」の話しことばが若者らしく軽快である。 |
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(評)「田んぼで開催」に作者の小さな驚きが込められている。「開催」「喝采」「ケロケロ」と、カ行音の連続がからりとした明るさを生んでいる。 |
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(評)あきらめないことでつかんだ勝利。「初めてつかんだ勝利のきっぷ」に大きな喜びが見られ、個性的でいい言葉。 |
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(評)チャンスボールが打てるのは一瞬、頭で考えるより先に身体が反応している。打った音が響いてから言葉が追いかけて立ち上がっている。 |
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(評)ペルム紀、地上を爬虫類が歩き、海中では珊瑚が群生していたというから海の水は美しかっただろうし、海が美しければ空も地上も美しかったに違いない。ペルム紀末の大絶滅は、地球上の生命をほとんど消し去る規模だったという。三葉虫も絶滅して化石になった。その三葉虫に焦点をあてることで遥かなる時間と空間を見事に一首に収めた。 |
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