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WEB歌会
投稿日 | : 2016/01/10(Sun) 20:37 |
投稿者 | : にしむら |
参照先 | : |
1月も三分の一が過ぎました。
次は2月にやろうと言っていたウエブ歌会、そろそろ準備が必要な
時期になってきました。
詠草を集める担当は、花田さんにしてもらいたいと思っています。
花田さんは、もうしばらくしたらお母さんの故郷へ行き、そこで
しばらく過ごすということなので、どうしたらよいかと考えました。
「投稿フォーム」がありますが、これを、花田さんにとどくように
セットしておきます。
そうすると、花田さんがどこに居ようと、そのメールアドレスに
詠草が届きます。
そうしようと思いますので、よろしくお願いします。
なお、2月の次は5月ですが、そのときは、詠草を集める係をしても
よいと思われる方は、西村でも花田さんに詠草を送るときにでも
そのことをメールなりで、申し出てくださると嬉しいです。
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/04(Fri) 00:19 |
投稿者 | : のりこ |
参照先 | : |
遠山に雪こそ光れ早々と炉火の榾木は軒に積みあぐ積みあぐ」
積み上げる(積みあぐ)の意味は、
1・・積んで高く重ねる
2・・積み終わる
この歌の場合の意味は 「積み終わる」。
「遠山には確かに雪が光っているが(と強調しておいて)、
しかし、炉火用の榾木はもう軒に積み終わっている」と、
遠山に雪が積もる頃には早々と冬支度を終えている寒い土地の
暮らしのたたずまいが見えてきます。
逆接でもすっきり意味は通ると思いますが、どうでしょうか。
どうでしょうかって言ったって、たかしさんはどこかの袋小路で
うんうん頭ぶつけてるみたいですが・・
私はもうすっかり納得しました。
あー、たのくるしかった!
ひさおさん、本屋に行って岩波さがしてみますね。ありがとうございました。
ではでは
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/03(Thu) 21:41 |
投稿者 | : ひさお |
参照先 | : |
だいぶ奥深い勉強になってきましたね。
已然形のもともとのはたらき、「こそと已然形の結びつき」そして
その結びつきの逆接としての使われ方から、中間的な使われ方、さら
に単なる強調としての使われ方などの変遷は「岩波 古語辞典」の
基本助詞解説にあります。まあ私が読んでもはっきり理解できない
部分がありますが、興味のあるある方はご一読をお勧めします。
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/03(Thu) 20:20 |
投稿者 | : たかし |
参照先 | : |
どうも私はほとほと無知であったようです。
今、検索で「逆接」を調べたら次のようになっていた。
デジタル大辞泉の解説
ぎゃく‐せつ【逆接】
二つの文または句の接続で、上に述べたことから予想される
以外の結果が示される関係を、あえて結びつける場合をいう。
例えば、「雨が降る」と「運動会を行う」の文で、接続助詞
「ても」または接続詞「しかし」を用いて、それぞれ
「雨が降っても運動会を行う」とか「雨が降る。しかし、
運動会を行う」などとする類。⇔順接(じゅんせつ)。
とあった。そうすると、
遠山に雪こそ光れ早々と炉火の榾木は軒に積みあぐ
↑上の解説が正しいのだとすると、この歌はむしろ順接ではないのか?
百歩ゆずって、逆接だとしても、この例歌が、こうした文法を
説明するのに最適の歌とは思えない。
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/03(Thu) 17:45 |
投稿者 | : 竹内典子 |
参照先 | : |
「遠山に雪こそ光れはや早と炉火の榾木は軒に積みあぐ」
積みあぐ・・積み終えるという意味なら問題はないと思います。
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/03(Thu) 09:18 |
投稿者 | : たかし |
参照先 | : |
ま、遠山に雪こそ光れ・・・・
の歌についてはよく分かりました。
この文を先に書くべきだった。これも逆接か
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/03(Thu) 08:36 |
投稿者 | : たかし |
参照先 | : |
なに!
逆説ではなくて、逆接・・○2強調逆接表現・・「こそ・・已然形」
が一文中に挿入されている場合、
逆接の条件句となってその事態を強調し以下に続いていく。
しかし、なぜ「逆接」というのかな。どこかに逆に接続している
部分があるのか。あるとすると、この歌の場合、どこに何の言葉が
逆に接続しているのか?
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/03(Thu) 00:04 |
投稿者 | : 竹内典子 |
参照先 | : |
○あまがへる鳴きこそいづれ照りとほる五月の小野の青きなかより・・詠嘆
これは結びの見かけの位置は文中ですが、結びの已然形はここで切れ文末と
なって詠嘆。
「の、結びの已然形はここで切れ文末となって詠嘆。の部分がどういうことを言うのか、」
については
結びの「いづれ」は文中にあるが、述語のある文としてはここが文末、ということだと思います。が、どうだろうか。
ところで、「わからない」と言われると答えようとしてしまうのは
なぜだろうか。そうするたびに自分で自分の首を絞めることになるような。
そもそも私が最初に「わからない」と言ったのである。
でも、おかげで勉強になりました。
と書いて送ろうとしたらまた珍説が出ていて、もう可笑しい。
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/03(Thu) 00:03 |
投稿者 | : 竹内典子 |
参照先 | : |
たかしさんの「椎茸の榾木」をひくひく笑っていたら、しかし、
私もとんでもない間違いをしていることに気づきました。
「逆説」ではなく「逆接」です・・
係助詞「こそ」 (旺文社・全訳古語辞典より)
○1係り結び形式・・文末を已然形で結び指示、強調、詠嘆などを示す。
○2強調逆接表現・・「こそ・・已然形」が一文中に挿入されている場合、
逆接の条件句となってその事態を強調し以下に続いていく。
以上のことを踏まえて、私の解釈はひさおさんの解釈と同じです。
ちょっと微妙な例歌だと思いますが「遠山」と「はや早と」が鍵かと。
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/02(Wed) 22:50 |
投稿者 | : たかし |
参照先 | : |
ひさおさん、私も珍説を展開します。
だから、これが逆説であるということで、逆説であるこの歌の解釈
を考えると、
遠山に雪こそ光れ・・・・
(季節は今頃、三月で春とは名ばかりの寒い日、遠い山に雪が
白く光っているが、
私は、もう早々と、炉に焚く榾木(木切れ)は片付けて、
軒に積み上げてしまったよ・・・・)
という風に解釈すれば、逆説という解釈が成り立つかと思うのです。
ただ、この解釈に固定するためには、
「はや早と炉火の榾木は軒に積みあぐ」
が、確かに、もう必要でないので、軒に積み上げたのだと
解釈しないといけないのですが、
この歌は、これからの寒い冬に備えて軒に積み上げてある・・・
とも、解釈出来てしまう。そこがどうもあやふやな感じです。
前者だと逆説だが、後者だと逆説にはならないように思うのです。
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/02(Wed) 11:16 |
投稿者 | : ひさお |
参照先 | : |
素人の珍説。「こそ・・・已然形」興味深く読ませていただいております。
「遠山に・・・・」の歌の解釈。たかしさんの説もなるほどと思われますが、逆接の解釈も立派に成り立つと思われます。
遠い遠い山々に雪が積もって光っている。まだまだ遠くの山の雪なので、人里に雪がふるまではまだまだ日にちがあるにも拘らず
早々と榾木を軒に積んだ。寒い冬の到来に神経質になっている感じだ伝わってきて、味わいが増すように思うのですが。
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/02(Wed) 07:34 |
投稿者 | : たかし |
参照先 | : |
訂正です
榾木のことを、私は「しいたけ栽培の榾木・・」と思って
いましたが炉にくべる薪のことも榾(ほだ)と言い、
榾木ということが分かりました。
しいたけ栽培の榾木の古いの・・・というのは訂正です。
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/01(Tue) 22:19 |
投稿者 | : たかし |
参照先 | : |
いや、こちらこそアシカラズ・・。駄々をこねてのりこさんを困ら
せるつもりではないのですが・・
どうも私は分からないことがあると、分からない、分からないと
叫ぶくせがあります。
この
「遠山に雪こそ光れはや早と炉火の榾木は軒に積みあぐ」
の歌、
これ、逆説とその本に書かれているということですが、
なぜ逆説なのかなあと、私は思ったのです。
私の解釈が間違っているのかもしれませんが(多分そうでしょうが)
遠山に雪こそ光れ・・遠い山に雪が光っている(これ強意ですよね)
里に雪が来るのも近い、つまり、寒い冬が目の前に近づいている。
だから、軒に、炉の火にするための、しいたけ栽培の榾木を
(しいたけ農家から榾木の古いのを無料で譲り受けるとかして)
軒に積み上げてある。
という光景だと思うのです。
だから、遠い山に雪・・・その光景に対して、炉の火となる榾木を
準備してある。
何故逆説なのかなあ・・・という疑問だったのです。
この歌に対するのりこさんの解釈をお聞かせください。
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/01(Tue) 21:28 |
投稿者 | : 竹内典子 |
参照先 | : |
たかしさんへ
好きややあらしまへん。
なんでか係り結びから足が抜けなくなってしまった。
むかし、聴きたくもないピンカラトリオの「女の道」が耳から離れなくて
泣きたくなったこともありました。(ちょっと違うか・・)
こんなにややこしくなるつもりはなかったけど、なってしまった。
アシカラズ。
執着気質だから今から一人で頭の整理をしまーす。
のりこ
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/03/01(Tue) 07:54 |
投稿者 | : たかし |
参照先 | : |
どうも何度も読んでいるが、
○あまがへる鳴きこそいづれ照りとほる五月の小野の青きなかより・・詠嘆
これは結びの見かけの位置は文中ですが、結びの已然形はここで切れ文末となって詠嘆。
の、結びの已然形はここで切れ文末となって詠嘆。
の部分がどういうことを言うのか、こうしたことに疎い私には分からない。
それにしても
こんなややこしいことが、のりこさんは好きなんですね!!
Re: WEB歌会
投稿日 | : 2016/02/29(Mon) 18:02 |
投稿者 | : 竹内典子 |
参照先 | : |
こんばんは
已然形のこと。
手持ちの本に「文末の已然形が詠嘆の気持ちで使用される例は
現代短歌にかなり見られる。」と載っているのを見つけました。
○くちなはの去年ゐしあたり乾きつつ森閑と昼の曇り深けれ・・高嶋健一
係り結びの詠嘆と逆説の例も載っていますが、これは私だけの興味かもしれないのでこのへんで終わりにします。
と思ったけど出だしの鉄幹の歌の構造に似たところもあるので書きます。
○あまがへる鳴きこそいづれ照りとほる五月の小野の青きなかより・・詠嘆
これは結びの見かけの位置は文中ですが、結びの已然形はここで切れ文末となって詠嘆。
○遠山に雪こそ光れはや早と炉火の榾木は軒に積みあぐ・・逆説
これは結びの已然形で文は切れてしまわずに逆説。
だそうです。ややこしくてごめんなさい。おわり。
(現代短歌の文法 米口實 より抜粋) のりこ