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「 」の秋。「 」には何を入れます?
投稿日 : 2017/08/27(Sun) 21:11
投稿者 なか
参照先
「読書」の秋、「食欲」の秋…。さて、みなさんは?
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Re: 「 」の秋。「 」には何を入れます?
投稿日 : 2017/09/10(Sun) 18:20
投稿者 のりこ
参照先
『水底の歌』は短歌を始める前ですが読みました。私はすっごく面白かったです。(時々熱すぎて身を退いたり、実は時々身を乗り出したりしました)『初期万葉論』にも何カ所か肯定的に引用されていた記憶がありますが、ほとんどツンドク状態でまだきちんと読みこんでいません。

なかさんの『秋篠月清集』は知りませんでした。ネットからと知り安心しました(中退だもんで)(笑)

たかしさん、私が夏派であることは、最初のコメントでわかっていたことと思いますが、ひょっとして「立場をあいまいなままわかったようなことを言う」とは私のことですか?

時間が足りません。しばらくここを休みます。たどたどのお当番はします。
それでは長々とすみません。
Re: 「 」の秋。「 」には何を入れます?
投稿日 : 2017/09/10(Sun) 18:17
投稿者 のりこ
参照先
(1)に関しての疑問は、私の持っているのは『萬葉集全注』(有斐閣)ですが、
中国暦法の影響による日本の四季感は天武・持統朝の頃に確立したこと
暦を確立して社会を秩序立てることは統治であったこと
が記されています。そして
ヤマトの象徴である聖なる天の香久山、その山に見られる風物の変化によって、夏の到来を確信したこの歌は、ヤマトにそして日本に夏が訪れ来った歓喜をすこやかに宣言したといえるだろう。

とあり、国を統べる天皇の歌として、万葉前期の発想と表現として、(1)の疑問は解けました。

以上が夏派の理由です。
Re: 「 」の秋。「 」には何を入れます?
投稿日 : 2017/09/10(Sun) 18:16
投稿者 のりこ
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私は夏派です。
たかしさんの冬派の弁明は大変面白く読みました。
「いなと言へど強ふる志斐のが強ひ語りこのころ聞かずて我れ恋ひにけり」3-236
「いなと言へど語れ語れと詔らせこそ志斐いは奏せ強ひ語りと言ふ」3-237
持統天皇と志斐の嫗の親愛の情に溢れた二人の応酬は、冬派に立つ一つのきっかけになったことと思います。
しかし、わたしには二つの素朴な疑問が残りました。
(1)この時代、自然に対する思いは今と比較にならない程強いものだったにちがいない。まして対象は天の香具山であり作者は天皇である。1巻にある歌として、もっと素直に読むのが正解ではないか。
(2)歌をつくる立場でいえば、歌の真意は必ず表すはずで、冬よ早く去れという願いや、しろたえの衣は実は雪だということは読めるように書くはず。
というものです。
Re: 「 」の秋。「 」には何を入れます?
投稿日 : 2017/09/10(Sun) 00:50
投稿者 なか
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なかです。
ひさおさんへ
 ネットで調べたら歌がヒットしたまでです。偶然です。

なかは専門家じゃないですよ。
学生時代は近現代文学を学びました。樋口一葉の日記を読んでました。
日記は文語文でした。とほほでした。

でもですね、その中で印象に残っているお話がありまして。
 一葉さんは小説の書き方を教わっていた方(新聞記者だったかと…)から、約束の日に会う約束を反故にされるんです。
「これから関西に行かねばならないんだ」って。
実はその方、滋賀県で起きた、ロシア皇太子を巡査が切りつけた「大津事件」の取材で、どうしてもあえなかったそうなんです。
そりゃ、しゃーないわ、と思ったそうです。

ちゃんちゃん。


さよさんへ
 うれしかったです。ひさおさんにも褒めていただき、へへへ と照れ笑いです。

あ、すみません。
えっと、たかしさんの、
 なぜ持統天皇が「春過ぎて」と詠んでいるのかという疑問。
 なぜたかしさんは冬の歌と思われたのかという疑問。
の二つがもやもやしています。かといって、答えはあるのですが、私の推測の域から出ないうーむな感じ。

 「めんどくさい男(※なか と読む)」なのですが、もちょっと、私が諦めるまでやってみます。

たぶん今週あたりで諦めるだろう、なか です。

博之さんへ
 『伝統の創造力』、おもしろかったです。
 読むと、ふむふむなるほど、と私の弱点を補強してもらったようだ、というのが感想です。
 久しぶりに岩波新書を読みました。岩波、大好きです。
 ありがとうございました。
なかさんへ
投稿日 : 2017/09/09(Sat) 12:42
投稿者 ひさお
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「春すぎて・・・・」の歌に関すること。
雲晴るる雪の光やしろたへの衣ほすてふあまのかぐ山(藤原良経『秋篠月清集』867)
なかさんは専門家であるだけに、いろんな歌集を読んでおられる。
挙げていただいた良経の歌は、たかしさんの描いておられる光景
にぴったりですね。これほどうまく適合する歌がよくもまあある
ものだと感心させられました。
Re: 「 」の秋。「 」には何を入れます?
投稿日 : 2017/09/09(Sat) 07:16
投稿者 さよ
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なかさんの解説が素晴らしいです。
Re: 「 」の秋。「 」には何を入れます?
投稿日 : 2017/09/09(Sat) 07:10
投稿者 たかし
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おはようございます。
冬派の形勢、やや不利ですが(昨日から王手を掛けられ続け)
まだ「投了」はしておりません。将兵の意気盛んです。
ですから、事情で(家庭の事情など)
ここに来て書き込む時間が取れないという人が居たら、
気永く待っていますぞ。いつでも受けて立ちます。
では、では、ひとまず。朝飯
Re: 「 」の秋。「 」には何を入れます?
投稿日 : 2017/09/08(Fri) 22:57
投稿者 なか
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■春過ぎて夏来るらし白妙の衣ほしたり天の香具山・・・万葉集
■春すぎて夏きにけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山・・小倉百人一首

『万葉集』の四句は、「ころもさらせり」だったと思います。読み方が諸説あり、今は「ほしたり」と読む私たち。「ころもさらせり」「ころもほしたり」なら、旧暦の五月、端午の節句に早乙女が田植えをする。そのために山にこもり潔斎をする。その時の衣が山に干される。その白さが山の緑との美しさを感じる。そう考え、やはり夏派。
たかしさんの意見をもとにすると、
雲晴るる雪の光やしろたへの衣ほすてふあまのかぐ山(藤原良経『秋篠月清集』867)

の歌なのではないかと…。
 いかがでしょうか。
3
投稿日 : 2017/09/08(Fri) 22:47
投稿者 たかし
参照先
将棋で言うと、冬派の私は敗勢に傾いているようですが、
最後にひとつ、この歌の言葉について考えたこと。
「春すぎて夏来たるらし…」
ですが、
「夏が来たようだよ」でいいものを、何故わざわざ
「春すぎて…」と、言ったのか。
夏が来たようだよ・・というのなら、何も「春すぎて」を
言う必要がないのでないか。
しかし、この歌は「春すぎて夏来たるらし」である。

その頃の冬は今よりも寒かったと思う。
家のなかも、石油ストーブやエアコンがあるわけでなく、
焚火とか、囲炉裏のようなものはあったと思うが、
今よりも冬はずっと厳しく寒かったと思う。

だから、寒さの緩む春を待つ気持ちはとても強かったと思う。
春が来るということは、寒い冬が終ることであり、
当時の人々は春を待ちわびていたことと思う。

その思いが、「春すぎて夏来たるらし」という表現になったのではないか。
つまり、冬の歌として、この歌を読めば、
今は寒い冬、だから、誰もが春を待っている。
「その春を通り越して、おや、夏が来たようだよ」
と言っているのだと・・・。
もちろん、この「夏来たるらし」は、
雪で白くなった香具山を見て、その雪を白の衣に見立てているのです。
これが、今回の私の最後の反論です。
2
投稿日 : 2017/09/08(Fri) 22:36
投稿者 たかし
参照先
はなゆきさん、
「万葉集について書く人を信用できない・・・」
わたしもこのことに共鳴します。
以前、中野先生の歌碑のある、白髭神社の、紫式部の歌碑の
歌について、調べて、勝手な解釈を小説の同人誌に書きました。

その文のコピーは、はなゆきさんにもお渡ししたかと思います。
その時、紫式部のことを調べるために、県立図書館へ行き、
紫式部について書かれている書籍すべてを借り出しました。
12,3冊あったと思います。

しかしこれらの本を読んでゆくと、同工異曲と言いますか、
ある元になる本があって、それを下敷きにして多くの本が書かれていることに気が付きました。
つまり、権威のある先生が書いた本を教本にしているのです。
だから、12,3冊借りても、結局読むべき本は、2冊ほどのみ。
後は、師匠筋の論を下敷きにして、ほんの少し新しいことを加えている。

だから、はなゆきさんの「……信用できない」を、
私は信用するのです。
この歌の話に戻りますが、
定家が、夏の歌の部に、この歌を入れたことで、
その弟子、また後世の学者は、「夏の歌」としてこの歌を研究する。
本当に、夏の歌なのか??と、
そこから疑ってかかる人が今まで何人いたかと私は思うのです。
1、
投稿日 : 2017/09/08(Fri) 21:44
投稿者 たかし
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ひさおさん、Yuckyさん、そしてはなゆきさん、ありがとう!
先ず、ひさおさんの書かれたこと、
大変に真に迫った文章で、あ、これは敗勢濃厚かと
一時は思いました。

中公新書「萬葉百歌」山本健吉・池田弥三郎著から引用された、
>>村の処女が田植えの催事のための、衣服を干す…のところの
>>栲はもと、楮(こうぞ)の木の繊維で作った織物である。
>>洗えばますます白くなるところから好まれたらしく、
>>後には栲でなくとも「白栲の衣」と言うようになった。
>>常用の服でなく、祭りのときの斎服である。
特にこの「白栲」について解説した部分は、思わず夏派になりそうでした。
たかしさんのプレッシャー?に応えて
投稿日 : 2017/09/08(Fri) 19:16
投稿者 はなゆき
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ご無沙汰しています。
〈手早くまとめる〉ことが苦手で、
これだけ書くのさえ時間がかかってしまいました。

梅原猛『水底の歌』を読んで以来、万葉集について書く人を信用することができなくなりました。斎藤茂吉、中西進、そのほか有名な万葉研究家?
ひさおさんの書かれた、池田彌三郎氏もです。

そして白川静先生の、『初期万葉論』『後期万葉論』を何回か読み、ますます著名な研究家が信じられない。

万葉集は漢字表記で、漢字仮名交じりは平安時代以降?ですよね。ですから漢字表記ではない万葉集、特に初期のものは、あまり読む気がしません。万葉初期は漢字に意味を持つものが多いのでは。

横道に逸れますが、「……かえりみすれば月かたぶきぬ」の歌などは、
「月西渡」がずっとずっと人麻呂に近い気がします。

春過而夏来良之白妙能衣乾有天之香来山
〈分からない〉と言うのがわたしの見方です。巻1ー28ですから、政治的な、儀式的なものと繋がっているかもしれませんよね?

書家の石川九楊氏が「万葉仮名でよむ『万葉集』」(岩波書店)で、
〈「乾」は旗がはためく様をいう〉

【今の夏よりももう少し早い時期のこと、白い雪の残る香来山がある、という意味合いも重なっているかもしれない。読み過ぎかもしれないが、そういう読みも不可能ではない】
と書いています。

個人の解釈にとどめた方がよい、これが正しいとは言えないと思います。
これにて消えます(言い逃げですが、疲れるぅー)。
まだ飲んどらんどー
論戦には混ざれませんが…
投稿日 : 2017/09/08(Fri) 16:49
投稿者 Yucky
参照先


何気なく投稿した、八嶋先生の文章がここまで加熱して貰えるのは嬉しい限りです。
…でもユッキーは夏派かな?
細かいことはわかりません。
感覚です。

春すぎて    続き
投稿日 : 2017/09/08(Fri) 13:00
投稿者 ひさお
参照先
続きです。
青々とした香具山に、その衣のいやが上にも白い色彩が、対照的に
映え、生き生きと夏の到来を感じさせるのである。ふだんは人の
住まない山の中腹にそれを見出して、処女たちの山籠りの生活を
思いやっているのだ。それは藤原宮からすぐ東に、指呼のあいだに
眺められるのである。
背後の古代生活を頭に置いて味わえば、この歌がいっそう生彩を
発揮してくる。人々の生活を律しているものが自然の運行であり、
生活のリズムは自然のリズムに従って繰り返される。夏が来て
香具山に処女たちの白栲の衣が目に映えれば、やがて田植の季節
は到来する。だからこの歌には、おのずからこの年の農作物の豊か
さと国うちの生活の幸福とを予祝していると言えよう。
これは儀礼歌ながら、創作動機が躍動している。初夏の日ざしと
山の新緑と、白栲の衣と、いかにも明るい色彩感覚に満ちた、印象
明瞭な歌である。
この歌を冬の歌とあえて解釈すれば、この歌の持つ味わいが上記解
説よりさらに増してくるとは思えないのですが。
春すぎて・・・・
投稿日 : 2017/09/08(Fri) 12:36
投稿者 ひさお
参照先
私が言っても誰も納得しないでしょうから、さらに別の解説書を引
用します。 中公新書「萬葉百歌」 山本健吉・池田弥三郎著
「来たるらし」というのは、来たらしいと言う程度の想像ではな
く、来たのに違いないという自信を持った想像。そしてその自身
の根拠は、白栲の衣が乾してある、ということなのだ。天の香具山
の緑を背景に、真白な衣が乾してある。それに季節の推移を作者
が感じたのだ。・・・・省略・・・・
古くは夏というと、禊の連想を伴なったものらしい。田植の前に
神聖な五月処女の資格を得るために、村の処女たちは山遊び、野
遊びをやった。一定期間処女たちだけ隔離して、物忌の生活を
送った。禊のための斎衣(をみごろも)を脱いでは乾し、脱いで
は乾ししていた。
栲はもと、楮(こうぞ)の木の繊維で作った織物である。洗え
ばますます白くなるところから好まれたらしく、後には栲でなく
とも「白栲の衣」と言うようになった。常用の服でなく、祭り
のときの斎服である。
  続く
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